お問い合せ

現代語訳「論語と算盤」⓸

第10章 成敗と運命

 

 

□ 良心と思いやりだけだ

 

「仕事とは、地道に努力していけば精通していくものだが、気を緩めると

荒れてしまう」といわれるが、何事においてもこれは当てはまる。

もし大いなる楽しみと喜びの気持ちをもって事業に携わっていくなら、

いかにわずらわしくとも、飽きてしまったり嫌になってしまうような苦痛を

感じるはずもないだろう。

ところがこれとは反対に、まったく楽しさを感じず、イヤイヤながら仕事を

する場合だとどうだろう。必ず退屈を感じるようになり、やがて不満を

覚えて、最後には自分がその職を放り出す羽目になるのが自然の勢いでは

ないだろうか。

前者では、精神が溌剌として愉快な気持ちから楽しみを発見し、さらに

尽きない喜びを感じて事業を進める原動力とすることができる。

そんな事業の成長は、社会のためにもなるものなのだ。後者だと精神が

縮こまり、鬱々として退屈から疲れを感じるようになって、やがてその身を

滅ぼしてしまうことになる。

いまお話を聞いている東京市養育院で働くみなさんに、「もし前者と後者とを

比べたとしたら、そのどちらをとりますか」と、尋ねたなら、「前者を

とるのがもっとも賢い選択、後者をとるのはもっとも愚かな選択」と明快に

答えられることだろう。

また、よく世間の人々は口癖のように運のよし悪しについて語っている。

そもそも人生の運はその十分の一や二くらいなら、初めから定まっている

のかもしれない。しかし、たとえ事前に定まっていたとしても、自分で

努力してその運を開拓していかないと、けっしてこれを掴むことはでき

ないのだ。「愉快に仕事をすること」と、正反対の「大きな災厄を招いて

しまうこと」—-この二つはただ単に天から恵まれる運だけで決まること

ではあるまい。

みなさんも、ぜひ前者をとって後者を捨てたいと熱望されるであろう。

そうであるならば、みなさんそれぞれが、自分の仕事のなかに大いなる

楽しみと喜びを持つようにするべきなのだ。そして同時に、仕事内容の

充実もはかっていかなければならない。ましてやこれが救済事業のような

ボランティアであれば、その性質からいって注意のうえにも注意を払って、

その内容を充実させるように努力しなければならない。

しかしそうはいっても内容ばかりに力を注いで、形式をおろそかにして

しまうのもよくないことだ。およそどんな事業でも内面と外面のバランスを

欠いてはならない。外面をとりつくろうために形式に走るというのは、

この意味でもっとも避けなければならないのだ。

さらにみなさんはすでにご存じのことと思うが、この東京市養育院には

大正四(一九一五)年一月の時点で二千五、六百人の生活に困った方が収容

されている。なかには例外として、善意の動機が悪い結果を生んで困窮

したり、旅先で病人になってしまったような人もいる。しかしその多くは、

いわゆる自業自得の人々なのだ。しかし自業自得だからといって、同情を

もって接しないというのはとてもよくないことだ。

人の常に抱くべき「人道」とは、何より良心と思いやりの気持ちを基盤に

している。仕事には誠実かつ一所懸命取り組まなければならない。

そして同時に、そこには深い愛情がなければならない。わたしは別に彼らを

優遇せよといっているのではない。あわれみの情を忘れてはならないと

いっているのだ。みなさんにはぜひこの良心と思いやりの道を身につけ、

現場で実際に行ってもらいたい。また医療に従事されているみなさんも、

収容されている患者の方を自分の研究の材料などと思っていられるなら、

それはまったく許せない話になってしまう。

研究というのも程度問題なので、絶対に悪いとはいわないが、医療関係の

みなさんは患者を治療するのが当面の義務だと考え、努力して欲しいと

望みたい。

さらに看護婦の人々もまったく同じであって、患者の方をどうか親切に

扱って欲しい。彼らは精神に変調をきたしている場合も多いが、社会で

落伍してしまった者に対して同情するのが、先ほどのべた良心と思いやりの

心なのだ。この二つこそ人の歩みべき道であり、社会で生きていくための

基礎。つまり、その人が幸運を掴むものになるものなのだ。

 

● 溌剌(はつらつ)

 

1. 生き生きとして元気のよいさま。「―とした声」「生気―たる若者」

2. 魚が飛び跳ねるさま。

  「御贄 (みにへ) の錦鱗徒らに湖水の浪に―たり」〈太平記・九〉

 

● 鬱々(うつうつ)

 

1. 心の中に不安や心配があって思い沈むさま。「鬱鬱として日を過ごす」

2. 草木がよく茂っているさま。

   「或は―とした松並木を過ぎ」〈荷風・地獄の花〉

 

● 自業自得

 

仏語。自分の行為の報いを自分自身が受けること。

一般に、悪業の報いを受けることにいう。自業自縛。

 

● 人道

 

 人として守り行うべき道。「人道にもとる行為」「人道上の問題」

 

 

 

この続きは、次回に。

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