お問い合せ

現代語訳「論語と算盤」⓹

□ 自分ができることをすべてしたうえで、運命を待て

 

「天」—-お天道様とはどのようなものかについては、わたしが関係して

いる「帰一教会」(異なる宗教の相互理解のために一九一二年に作られた

組織)などの会合でも、しばしば議論となるテーマだ。

ある一部の宗教家は、「天」を魂ある一種の生命体であると解釈している。

「天」は実体を持たないが、人格の備わった魂であり、まるで人間が手足を

動かすように、人に幸福や不幸を与えていくというのだ。

それだけでなく、祈祷したりお祈りしたりすれば、「天」はこれに左右

されて、運命を探っていくかのように考えている。

しかし「天」というのは、これらの宗教家の考えているように、人格や

身体を持っていたり、祈祷によって幸福や不幸を人の運命に加えるような

ものではないとわたしは考えている。天からくだされる運命は、本人が

知りもせず悟りもしない間に自然と行われていくものなのだ。

「天」とは手品師のように不可思議な奇蹟などを行うものではもちろん

ない。「これが天からくだされた運命だ」「いや、こちらが天から下された

運命だった」といった認識は、つまるところ人間がそれぞれ自分勝手に

決めてしまうもので、天自身にとってはまったくあずかり知らぬ話なのだ。

天からくだされる運命とは、人間がこれを意識しようがしまいが、四季が

自然にめぐっていくようにすべての物事に降り注いでいることを、まず

人は悟らなければならない。そのうえで、この運命に対して、

 

「恭」—礼儀正しくする

「敬」—うやまう

「信」—信頼する

 

という三つの態度で臨むべきなのだ。

そう信じてさえいれば「人事を尽くして天命を待つ」—自分ができることを

すべてしたうえで、天からくだされる運命を待つ、という言葉に含まれる

本当の意義が、初めて完全に理解されるようになると思う。

さらに、実際に世の中を渡っていくうえで、どのような「天」を理解して

おけば良いのだろうか。わたしは次のような、孔子の理解に基づいた理解を

していればよいと思う。つまり、「天」を人格のある魂を持つ生命体だとは

考えず、かといって天地と社会との間に起こる因果応酬の原則を、「偶然に

すぎない」などとも考えない。これらをすべて天からくだされた運命だと

考えて、「恭」「敬」「信」の気持ちをもって臨んでいく—-こう考える

のが、もっとも穏当ではないかと思う。

 

● 祈祷

 

(スル)神仏加護願い言葉によって除災増福を祈ること。

また、その儀礼。「加持祈祷

 

● 奇蹟

 

1. 常識で考えては起こりえない、不思議な出来事・現象。

   「―が起こる」「けががなかったのが―だ」

2. キリスト教など、宗教で、神の超自然的な働きによって起こる

     不思議な現象。

 

● 人事を尽くして天命を待つ

 

力のあらん限りを尽くして、あとは静かに天命に任せる。

 

● 因果応酬

 

人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いが

あるということ。 ▽もと仏教語。

行為の善悪に応じて、その報いがあること。

 

 

 

この続きは、次回に。

 

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