お問い合せ

現代語訳「論語と算盤」「渋沢栄一小伝」①

「渋沢栄一小伝」

 

● 時代の児

 

渋沢栄一は自分の人生を振り返って、「自分の身の上は、はじめは卵

だったカイコが、あたかも脱皮と活動休止期を四度も繰り返し、それから

繭になって蛾になり、再び卵を産み落とすような有様で、二十四、五年間に、

ちょうど四回ばかり変化しています」と述べている。

 

具体的には、

1. 尊王攘夷の志士として活躍した時期

2. 一橋家の家来となった時期

3. 幕臣としてフランスに渡った時期

4. 明治政府の官僚となった時期

5. 実業人となった時期

 

と異なる五つのステージを駆け抜けていったのが、彼の人生だった。

しかもいずれの時期の活動も、当時の「尊王攘夷」「文明開花」「明治

維新」「殖産興業」という大きな時代の潮流にそのまま棹さしている。

文豪・幸田露伴は、彼を「時代の児」と評したが、まさしく栄一は幕末

維新の落し子にして、近代日本の産婆役に外ならなかった。

渋沢栄一は、天保十一(一八四十)年、武蔵国榛沢郡血洗島村(今の埼玉県

深沢市血洗島)に生まれた。父は市郎右衛門、母は栄。実家は農業や養蚕、

藍玉の製造を手掛ける豪農だった。なお、以下の年齢表記は当時の慣習に

従って、数えで記している。

六歳から『蒙求』や『論語』などを教科書とした簡単な手習いを始めると、

七歳で十歳年上の従兄・尾高新五郎(惇忠)から四書五経や『左伝』『史記』

『日本外史』『日本政記』といった本格的な日中の古典の教えを受けて

いった。

彼には、次のような逸話もある。十二歳の年始まわりのときに、本を読み

ながら歩いていて溝に落ちてしまい、晴れ着をどろどろに汚して母親に

しかられてしまったというのだ。学問を楽しみ、読書にのめり込んでいた

栄一の姿が彷彿とされる話だ。また十二歳からは、従兄・渋沢新三郎の

もとで神道無念流を学び、剣術も身につけていった。

こうした読書や剣術、習字などの稽古に明け暮れていた栄一だったが、

十四、五歳のとき、父から「そろそろ農業や商売にも身を入れてもらわ

なければ困る」との話があった。学問を続けたい気持ちもあったが、栄一は

そこから畑仕事や藍葉の仕入れに身に入れるようになる。

一一四頁(一日を新たな気持ちで)にあるような、修験者が迷信を利用する

のを見破るような利発さを示したのも、この頃だった。

さて、そんな十代を過ごすうちに、栄一の人生に決定的な影響を与える

事件が起こった。

彼が十七歳のとき、血洗島村の領主が、栄一の家やその親戚に対して

御用金(領主からの借金)を申しつけてきた。栄一は父の代理人として

代官所に出向くことになった。そこで五百両という金額を代官から言い

つけられた栄一は、「自分は代理人としてきたので、今日は金額だけを

聞いて帰り、御用金を受ける旨はまた伝えに参ります」と述べ、その場での

即答を避けた。するとその代官、馬鹿にした口調で次のように述べたのだ。

「お前いくつになるんだ」「はい、わたしは十七歳でございます」

「十七歳に何っているんなら、もう女も買う年頃だろう。

そうなら三百両や五百両なんてたいしたことないはずだ。

きちんと御用を聞いていけば、覚えもよくなって、世間体も立つというもの。

父に聞いてからなどと、何をわからないことをいっているのだ。

お前の家の財産で、五百両などたいした金額ではあるまい。

いったんまた帰ってから来るなどという、手ぬるいことは承知しないぞ。

何とでもわたしの方からいいわけしてやるから、すぐに承知しましたと

いう挨拶をしろ」

他にも口汚い言葉を浴びせられたが、栄一は、「いったん帰ってからで

ないとお返事できません」と繰り返し続け、何とかその場は逃れた。

結局、領主に逆らっても仕方がない、という父の判断で五百両の御用金は

うけることになったが、栄一はこの事件に対して、後々まで、「本当に

横っつらをハリたおしてやりたいほど腹が立ったよ」と家族の前で語る

ほど悔しい思いを感じていたという。それは結局、よい血筋にさえ生まれ

れば、無能や無学な者でもそれなりの地位につけてしまう幕府の古い体制に

対する憤りに外ならなかった。

明治維新の原動力の一つに、栄一のような豪農の子弟層の活動があったと

いう説がある。おそらく栄一のような憤りの経験が、多かれ少なかれ、

当時の日本各地の学問ある商人や農民たちに共有されていたのだろう。

 

● 棹(さお)さす

 

1. 棹を水底に突いて舟を進める。「流れに―・す」

2. 調子を合わせて、うまく立ち回る。「時流に―・す」

 

● 逸話

 

その人についての、あまり知られていない興味深い話。

エピソード。「逸話の多い人物」

 

● 彷彿

 

1. ありありと想像するさま。目の当たりに見る思いをするさま。

  「郷里を―とする」「故人が―として現れる」

2. ぼんやりしているさま。

   「彼が何物をか有しているのが、―として認められた様である」

    〈鴎外青年

3. よく似ているさま。

    「田の太夫の舞台顔に―たり」〈逍遥当世書生気質

 

 

 

この続きは、次回に。

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