お問い合せ

現代語訳「論語と算盤」「渋沢栄一小伝」③

□ フランス渡航

 

一八六七年、パリでフランスの威信をかけて万国博覧会が開かれようと

していた。このとき、フランス皇帝であったナポレオン三世は、日本からも

将軍家を招待したいとの意向を示した。そこで名代として白羽の矢が立て

られたのが、慶喜の弟にあたる徳川昭武だった。昭武は民部大輔という

地位にあったため、『論語と算盤』のなかの民部公子と呼ばれている。

随行員には、当然お付きの水戸藩士が選ばれたが、なにせ頭の固い武家

出身者ばかり。そこで頭の柔らかい栄一にも、随行の一員として声が

かかったのだ。鬱々としていた栄一は、これを絶好の機会と考えて承知

する。一行の総勢は二十九名。船にてパリへと向かい、国賓待遇で万博を

見学した。栄一は、今でいえば総務や会計担当係だった。一行はさらに、

西欧の最先端の文物を学ぶべく、パリはもちろんヨーロッパ各国に、見聞

足を伸ばしていった。

このヨーロッパでの一年ほどの経験が後の栄一の針路に大きな影響を

与えていく。特に、当時のヨーロッパの繁栄を形作っていた資本主義の

システムに、栄一は大きな感銘をうけた。ヨーロッパ各国の強大さを

支えているのは、資本主義をもとにした経済力である、と彼は肌で理解

したのだ。

さらに、身分制度の固定化されていた日本と違って、ヨーロッパでは商人と

軍人とがまったく対等に接している姿にも、栄一は驚かされた。

ベルギーを訪れたさいには、製鉄所の見学をした徳川昭武に向って、

ベルギーの国王が自国の鉄鋼を売り込む姿も目の当たりにしている。

経済力向上のためには、商人の地位を向上させることも必須だという

ことを、彼は感じ取っていった。

ところが、この渡航は一八六八年年に打ち切りを余儀なくされる。

日本で徳川慶喜が大政奉還を行ったのだ。このため政権が明治新政府へと

移行し、後ろ盾を失った一行は帰国せざるを得なくなる。

栄一は、日本にもどった後もそのまま徳川昭武のお世話を続ける心づもりで

いた。しかし慶喜が、水戸藩の内部抗争に栄一が巻き込まれることを

心配して、自分のいた静岡から手放そうとしなかった。

留め置かれることになった栄一は、ならばと渡欧で培った経験を活かして、

日本で初めての銀行兼商社である「商法会所」(後に「常平倉」と改名)を

その地に設立する。これは日本における会社組織の走りともいわれ、栄一は

この事業を日本各地に広める形で、資本主義を定着させる道筋を思い描いて

いた。しかし新政府の方でも、彼のような有為の人材を放ってはおかな

かった。

明治政府からの招待が届き、栄一が東京に出向いていたのは大蔵省(現在の

財務省)への出仕話だった。静岡での事業のこともあり、栄一は断りを

入れようとする。それを説得したのが、早稲田大学の創立で有名な大隈

重信だった。

「あなたの経歴を聞くと、やはりわれわれと同様に、新しい政府を作る

という希望を抱いて、辛い苦労をしてきた人である。そうであるならば、

出身は問わず、もともとは同志の一人ではないか。だいたいこの明治維新の

政府というのは、これからわれわれが知識と努力と忍耐によって作り出して

いくもの、特に大蔵の事務についてはいろいろ考えなくてはならないことが

あるから、ぜひとも力を合わせてやっていこうではないか」

重信は説得上手といわれていたが、このときも栄一をその気にさせることに

成功し、彼を明治の新しい国づくりへと参画させていった。

 

● 威信

 

他人を威圧するような厳しさと、その厳しさに寄せられる他人からの信頼。

 

● 名代

 

ある人の代わりを務めること。また、その人。代理。

「父の名代として出席する」

 

● 鬱々

 

気持ちが晴れない、何となく落ち込んでいる。

 

● 見聞

 

実際に見たり聞いたりすること。また、それによって得た経験・知識。

けんもん。「見聞を広める」「実地に見聞する」

 

● 針路

 

1. 《羅針盤で進行方向を知るところから》船舶・航空機などの進む方向。

     コース。「南に針路をとる」「針路を外れる」

2. 目ざす方向。進路。「党の針路」

 

● 繁栄

 

豊かにさかえること。さかえて発展すること。

「社会の繁栄」「子孫が繁栄する」

 

● 感銘

 

忘れられないほど深く感じること。心に深く刻みつけて忘れないこと。

「深い―を受ける」「お話にいたく―しました」

 

● 必須

 

必ず用いるべきこと。欠かせないこと。また、そのさま。ひっしゅ。

「成功のための必須な(の)条件」

 

● 大政奉還

 

政権を天皇に返上すること。慶応3年(1867)10月14日、江戸幕府

第15代将軍徳川慶喜 (とくがわよしのぶ) が政権を朝廷に返上することを

申し入れ、朝廷が翌15日それを受け入れたこと。

これによって鎌倉幕府以来約700年続いてきた武家政治は終了した。

 

● 有為

 

能力があること。役に立つこと。また、そのさま。

「有為な(の)人材」

 

 

 

この続きは、次回に。

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