お問い合せ

現代語訳「論語と算盤」「渋沢栄一小伝」⑤

□ 私心なき活動

 

栄一はさらに、産業界ばかりでなく公益事業にも大きな足跡を残していった。

二○六頁(第10章 成敗と運命 良心と思いやりだけだ)にも登場する東京市

養育院は、当時の窮迫した人々を救うための社会慈善団体だが、そもそも

明治五(一八七二)年に、「怠け者を養ってやる必要などない」といった

強い反対を押し切って栄一が設立にこぎつけたものだ。

明治七(一八七四)年に院長就任以来、亡くなる九十二歳まで五十六年間も

栄一はその職を務めている。他にも東京慈恵会、日本赤十字社、聖路加

国際病院など、栄一がかかわった団体は少なくない。

さらにアカデミズムの世界に目をやると、商法講習所(のちの一橋大学)、

早稲田大学、同志社大学、日本女子大学、二松学舎など錚々たる学校の

創設に彼は関与している。また、面白いところでは、明治天皇崩御ののち、

代々木に明治神宮やその外苑を造成する計画の中心人物となったのも渋沢

栄一であった。とにかく唖然とするほどのエネルギッシュさで、日本の

資本主義や、社会的な基盤を作り上げていった彼だったが、この実践の

大いなる原動力となったのが、たびたび触れてきたように彼の私心のなさ

でもあった。

栄一にはエピソードがある。

彼が王子製紙の社長をしていた一八九八年、彼に人心刷新を求めて辞任を

突きつけてきた人物がいた。それが三井財閥から送り込まれてきた専務の

藤山雷太。この時栄一は、なんと雷太の言い分にも一理あることを認め、

いさぎよく社長の座を辞している。

普通、このような経緯があれば、自分を降ろした相手の怨みの気持ちを

抱いてもおかしくないのだから、栄一は全く違っていた。

一九○九年、自分の関わっていた大日本製糖の経営が傾いたときに、社長

として送り込んだのが、当時不遇をかこっていた雷太だった。

このとき、雷太は自分の息子に、次のように語ったと述懐している。

「長年御恩顧を蒙った渋沢男爵の御推薦であり、又日本の経済界が、

これによって、如何に動揺するかと云う事を考えるならば、自分は今

一身の利益を顧みる暇なくして、此仕事に従事しなければならぬ」

私心なき栄一の人物起用に、雷太は一身をなげうつ覚悟を固めたのだ。

この結果、大日本製糖は三年もかからずに再建されている。二八頁(第1章

人は平等であるべきだ)にもあるような人の使い方は、嘘偽りのないもの

だった。また、五七頁(第2章 立派な人間の争いであれ)に出てくる、

大蔵省内で栄一に暴力を加えようとした人物は、名を得能良介という。

彼も結局は、栄一の支援者となった人物だった。暴力事件の後にいったん

大蔵省を辞めたものの、再びもどると、栄一の第一国立銀行頭取就任を

推挙したり、彼を助けて日本の紙幣制度確立に尽力している。

暴力事件のきっかけとなった洋式簿記も、結局は彼が中心となって普及に

務めていった。余談になるが、現在残っている西郷隆盛の有名な肖像画は、

この良介が印刷局に雇われていた画家エドアルド・キョッソーネに描か

せたものである。

さて、こうした活躍を続けた栄一も、一九○四年、六十五歳の時に大病を

経験してからは、かかわる事業の数を大幅に減らしていった。

さらに七十歳のときには第一銀行他数社をのぞいては役員をすべて辞任

した(七十七歳の喜寿で、そのすべてからも辞任)。

かわって栄一が熱を入れたのが、国際親善や社会事業関連の仕事だった。

特に、反日感情が高まりがちなアメリカに関しては、彼は民間外交の

はしりともいうべき特筆すべき業績を残している。

栄一は合計で四回アメリカを訪問しているが、すべて七十歳を超えてから、

しかも最後に渡米したのは何と八十二歳のときだった。

当時の過酷な旅行を、老齢でこなし続けた背景には、栄一の日米親善に

対するあくなき熱意があった。

日露戦争の頃までは、きわめて良好だった日米関係は、文化的な摩擦や

日本の排外的な態度から急速に悪化していった。

栄一は、アメリカの反日的な雰囲気を取り除くべく一九○九年、七十歳の

高齢ながら渡米実業団の団長に就任、その大任をこなしている。

アメリカでは専用の特別列車をしたて、昼は各地での祝賀会、夜は寝ながら

次の都市への移動を繰り返して、百二十日余りの間に五十三都市を回る

という強行軍をこなし続けた。

クリーブランドでは、人嫌いで有名な石油王ロックフェラーがわざわざ

栄一に会いに来たという逸話もある。

日米を代表する慈善家が、邂逅した一瞬だった。

さらに七十五歳でパナマ万博出席、八十一歳ではワシントン会議視察の

ために、再び実業団とともに渡米を果たした。いずれの訪米でも、栄一は

当時のアメリカ大統領との会見を果たし、各地で親善の努力を続けていった。

こうした彼の行動が評価され、栄一は、一九二六年と二七年に、ノーベル

平和賞の候補にもなっている。

 

● 窮迫(きゅうはく)

 

行きづまってどうにもならなくなること。

特に、金銭的に差し迫って困り果てること。「窮迫した生活」

 

● アカデミズム【academism】

 

1. 大学などでの、理論を重視し、学問・芸術の純粋性・正統性を守ろうと

    する立場。ジャーナリズムに対比して用いられることがある。

2. 学問・芸術の、保守的、形式主義的傾向。官学風。

 

● 錚々(そうそう)

 

多くのものの中で特にすぐれているさま。「錚錚たる顔ぶれ」

 

● 述懐(じゅっかい)

 

1. 思いをのべること。「心境を述懐する」

2. 過去の出来事や思い出などをのべること。

   「事件当時のようすを述懐する」

3. 恨み言をのべること。愚痴や不平を言うこと。

  「女どもも花見にやらぬと申して―致す程に」〈虎明狂・猿座頭

 

● 恩顧(おんこ)

 

情けをかけること。よくめんどうをみること。

「恩顧をこうむる」「恩顧に報いる」

 

● 推挙

 

ある人をある官職・地位・仕事などに適した人として推薦すること。

「委員長に―する」

 

● 排外

 

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけること。

「排外思想」

 

● 邂逅(かいこう)

 

思いがけなく出あうこと。偶然の出あい。めぐりあい。

「旧友と邂逅する」

 

 

この続きは、次回に。

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