お問い合せ

現代語訳「論語と算盤」「渋沢栄一小伝」⑥

□ 私生活と晩年

 

さて、そんな華々しい活動を続けた栄一の私生活に最後に触れておこう。

彼は最初の妻千代を四十三歳の時になくすと、後妻として兼子と結婚し

四男三女をもうけている。またこの時代の通例で、お妾さんも数多く持ち、

その子供は三十人以上はいたらしい。

普段喧しく道徳を口にしているわりに女性関係にだらしないのは、渋沢家の

女性たちにとっては格好の攻撃材料となっていたようで、孫の華子も、

「わたしも若いころは祖父をなんというヒヒじじいと軽蔑していた」と

述べているし、妻の兼子も、「父さまは儒教といううまいものをおえらび

だよ。ヤソ教なら大変だよ」と皮肉交じりに語っていたという。

栄一自身も晩年には、「婦人関係以外は、一生を顧みて俯抑天地に恥じ

ない」とみずから語っていたという。

さすがに本人も、この点は少々引け目を感じていたわけだ。

そんな栄一が最後に子供を儲けたのは、齢八十をゆうに超えてから。

「八十歳までの祖父は随分と人間的でありました。すべての方面に物欲が

残っていました。昼食にわたしと二人でよく穴子の天ぷらを平らげた祖父で

ありました」という孫の敬三の想い出話と照らし合わせて考えると、栄一の

偉業を支えていたのは人並み外れたバイタリティであったことがわかる話だ。

また彼の長男は篤治といったが、品行が悪かったために、栄一は悩み抜いた

あげく廃嫡を決意、孫の敬三を当主としている。この篤治の問題は、

「父には、穂積、阪谷、尾高などの重要な親類がありましたが、なかなか

この間に、今の言葉でいうと、父の争奪戦が、ごく明らさまでなしに

行われておったらしいので、父はそれを厭ってついに逃避していました」と

いう回想を敬三が残している。一八八頁( 第9章 教育と情誼 ● 孝行は

強制するものではない )にもあるように、彼も子供の教育という点では

苦労が絶えなかったわけだ。ちなみに当主を継いだ孫の敬三は、後に日銀

総裁や大蔵大臣を務めるとともに、みずから民俗学者として活躍、宮本

常一を始めとする多くの学者に手厚い援助を行ったことでも知られている。

一九三一年、栄一は直腸ガンをわずらい、手術のかいなく危篤に陥って

しまう。最期を看取った敬三には、このときのことを描いた素晴らしい

一文があるので、ご紹介したい。

「祖父の病床の話が出たので更にもう一つ書いてみたいことがあります。

それは最後まで看をした私にとっては、不思議な思い出です。

一つは病床が最後まで明るかったことです。薬の匂いと病人の気分と、

また看護人の特殊な気持から、普通病室には一種異様な空気が漂いがちで

ありますのに、祖父の病室には最初から最後まで、そうした空気(いき)

苦しさをいささかも感じませんでした。また自分の錯覚と思うほど祖父

その人と、病人たる祖父とが二つの別個の存在のように思われたことが

しばしばでした。そして祖父のいよいよ最後が来る時には、一面非常に

悲痛な感じがありましたと同時に、他面『ああ、これでよいのだ』という

むしろ安らかさが沸き起りました。譬喩はいささか大げさに過ぎるかも

しれませんが、ちょうど太陽が西山に後光を残して沈みゆく時に感ずる

ような、美しい淋しさと大自然への還元というような安心さえ覚えて、

死後の冥福を祈るとか菩提を弔うとかいう感じは更になく、かえって

安らかな信じきった或る物に頼りきるという感じて一杯でした。

(中略)もう一つはほんの些細なことですが、臨終の脈を採りかつ後々まで

傍に居た私が最後になって気が付いたことは、かなり長い間病床に

横たわった祖父の体に殆ど垢がなかったことでした。一ケ月も臥せって、

丸三日も高熱が続いた後、垢のないのは全く不思議な現象でした。

林さんも看護婦も驚いていました。その時『徳薄垢重』という経文中の

一句がふと私の頭をかすめ通ったのを今でも記憶しております。

 

こうした栄一は、十一月十一に大往生を遂げた。享年九十二歳。

墓地は東京上野にある谷中霊園、主君であった慶喜にほど近いところに、

そのお墓は置かれている。

 

● ヤソ教(耶蘇教)

 

耶蘇教とは何でしょうか?

耶「イエス様」

蘇「蘇られた」

ということで、「イエス様のよみがえりを信じる教え」という意味です。

イエスの肉体的復活を信じることは信仰告白confession,das

Bekenntnis(-ses/-se)の肝心要の部分です。

精神的復活なら「良くある話」ですが、あくまでも肉体的な復活です。

「自分で見ていないものは信じない」と主張した疑い深いトマスは、実際に

イエスを見て感激し、「私の主、私の神」と言いました。

またイエスのわき腹の傷に自分の手を差し込んで、その身体を確かめた

らしいです。

「イエスが肉体的に復活して、弟子が実際にそれに触って確かめた」と

いうトコロが肝心です。

ちなみに、トマスのアラム語の原義は「双子」で、東方正教会では「研究を

好むフォマ」と呼び、復活祭後の主日を「フォマの主日」と呼んで、

八日後にトマスがイエスにあった際の言動を記憶するそうです。

 

● 俯抑天地(ふぎょうてんち)

 

かえりみて、自分の心や行動に少しもはじるところがない。

公明正大で心にやましいところがない。

 

● 廃嫡(はいちゃく)

 

(スル)民法旧規定で、推定家督相続人の家督相続権を失わせること。

廃除 (はいじょ) 

 

● 譬喩(ひゆ)

 

ある物事を、類似または関係する他の物事を借りて表現すること。

たとえ。→比喩法

 

● 徳薄垢重(とくはくくじゅう、とくはっくじゅう)

 

さて、煩悩は垢であると言われていますが、その中で(徳薄垢重)という

言葉がありますが、徳薄というのは、今までに積んだ徳が薄いということ

です。したがって、現在のその人に備わる人徳も豊かでないということ

です。垢重(くじゅう)というのは、垢が重なり合っていっぱいついて

いるということです。垢とは、煩悩をさします。

煩悩はけっして人間の本質ではなく、その表面についた付着物なのです。

付着物と言っても外部からやってきてついたものではなく、人間の本能が

変質してできたものです垢が、皮膚の活力を失った表皮や、皮脂や、汗

などが混合したものであるのと同様なのです。

常に心をよく洗っておれば、こういう垢はたまらないのですが、それを

怠っていると本来の自身の心にいつの間にか覆いかぶさるというのが

(垢重)という言葉なのです。

 


 

今回が、最終となります。

次回をお楽しみに!

 

2021.6.5

株式会社シニアイノベーション

代表取締役 齊藤 弘美

 

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