お問い合せ

Coffee Blake-令和3年7月18日(日) 私の考える「夢の実現」①

プロローグ【Prologue】

 

若い時-満25歳に、「一国一城の主」になりたいと、サラリーマンから

〝水商売〟〝客商売〟と当時言われていた業界に入りました。

 

将来は、〝自分のお店を持つ〟という「夢」を抱いて。

 

私の場合は、入社した会社は、珈琲焙煎卸会社で当時、業界第3位の

会社で主に喫茶店に珈琲豆等を卸すのが事業内容の会社です。

また、珈琲店も数店経営しており、その内の1店舗-東京駅八重洲にあった

珈琲店に配属になりました。

その当時は、「喫茶店」は、〝水商売〟〝客商売〟と一般的に言われて

いたように感じます。

従って、私の田舎(秋田県)の両親も、私の転職には反対でした。

 

「何故、転職したの?」と申しますと、その当時の会社の事業-製造業は

一般的には、不景気でした。

休日も、土曜日は半ドン、日曜・祭日はお休みが、そのうちに水曜日も

お休みとなりました。

そのような状態の時に、ふと考えたのです。

〝このまま、この会社にいて、そのうち結婚して、社宅で暮らして、

子供ができ、そのうち家でも買って、60歳になったら「定年」を迎え、

「退職金」を貰い、住宅ローンなどの支払を完済して、その後、何か

仕事でもして、死ぬのか——。」みたいに。

 

何か、もう自分の一生がすでに決まっているように思えた訳です。

〝レール〟の上を、脱線しないように、進んでいけば、安全に〝目的地〟に

到着する、と。

よく耳にします〝人生、一生に一度だけだから、楽しく、生きない〟と

いう言葉も、友達ともよく、話をしていました。

そこで、その当時、「学生援護会 アルバイトニュース」(間違っていたら、

ごめんなさい)という雑誌がありました。今で言うと「タウンワーク」

みたいな雑誌です。

その中で、「給与」がいいのが、〝水商売〟〝客商売〟業界でした。

当時は、珈琲専門店ブームで、「週刊朝日」と言う週刊誌に、〝東京都内で

美味しい珈琲店10店〟との見出しがあり、友達と遊びがてら、すべての

お店を見に行きました。その時に気づいたのが、半分以上のお店の珈琲豆が、

その後入社した珈琲焙煎卸会社の珈琲豆だったのです。

そして、その会社が直接、経営しているお店が10店の中にあり、その

お店が東京駅八重洲にあった珈琲店です。

確か、5月のゴールデンウイークに再度、お店に行ったところ、お休み

だったのです。

〝祭日は、お休みか、もしかしたら日曜日もお休みかな〟と嬉しくなり、

〝ここで働こう〟と決心しました。動機は、本当に簡単です。

そして、ゴールデンウイーク過ぎの平日午後に直接、お店を尋ねました。

〝人事担当の責任者の方に会いたいのですが〟と言ったところ、責任者

(店長)が対応してくれ、〝今日は不在の為、○○日に電話を下さい〟という

ことで電話番号のメモをいただき、帰宅致しました。

指定された日に電話を入れ、□□日に当時、東京エリアを統括していた

部長の方と面接をすることになりました。

面接で言われたことは、〝現在、このお店は人が足りているので、どう

してもというならば、人の空きが出るまで、当社のお客様のお店で働き

ますか〟と言われ、即答で〝お願いします〟と返答致しました。

そして、紹介された銀座の喫茶店で働くことになり、数ヶ月働いている

うちに、そのお店の責任者から〝内の会社(宝石販売業、自社ビル1階で

喫茶店を営業)に入らないか〟と誘われました。給与も高く払う約束で。

〝統括部長に連絡した上で、返事をします〟と返答し、仕事が終わり、

統括部長に連絡を入れ、内容をお話ししたところ、〝明日から、こちらの

お店に来るよう〟との返答でした。折り返し、〝銀座のお店の責任者〟に

連絡を入れ、〝明日から、八重洲店に来るようにと言われたので〟と

退店を告げたのです。

その当時、思ったことは〝実力〟をつければ、〝自分を高く売れる〟と

いうことでした。サラリーマンとは、〝違うな〟と。

また、銀座のお店では、毎月給与が上がっていましたし、初めての仕事

でしたので、〝覚えることが新鮮で、毎日が充実していた〟そして、

働いている同僚が、いつかは、〝自分のお店を持つ〟という志がある

ことでした。

要は、〝水商売〟〝客商売〟で働いている人たちのイメージが、〝尊敬〟に

変わり、自分にあっていると自信を持ったことを覚えています。

その後のことをお話しすると、長くなりますが、店長からスーパーバイ

ザーになり、料理を覚えるために退職、ハンバーグ製造会社の新店舗立ち

上げの責任者として入社。退職して、官公庁の給食委託会社の支配人候補

として入社、ひょんなことから「経理部配属」になり、経理を一から教えて

いただき、数社の管理部門の責任者を経験、定年退職を迎えたのです。

人生とは、どう変わるのかはわかりません。あのまま、飲食店の仕事を

していたら、定年までどんな人生を歩んでいたのか。

経理業務を一から教えていただいた公認会計士の方や取締役経理部長

(当時)の方とは、今でもお付き合いをさせていただいております。

〝感謝、感謝〟の気持ちで一杯です。

 

振り返ると、案の定、「結婚して、子供が生まれ、マンションを購入、

転職を繰り返しながらも、それなりに退職金をいただき」という、私も

〝レール〟を乗って歩んできたのです。

 

 

この続きは、次回に。

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