田中角栄「上司の心得」2-⑦
・家出息子捜索の老母の頼みに警察庁長官を動かす
筆者は田中角栄の人心収攬術の凄さを山のように耳にしているが、その
極め付きは次のような話である。
秘書当時の早坂茂三(のちに政治評論家)から、直接、聞いた話である。
昭和51(1976)年、田中がロッキード事件で逮捕、その後、保釈されてまだ
間がなかった秋口の光景である。
東京・目白の田中邸の朝は、この日も陳情客などが押し寄せていた。
なかには、国会外の大物の面会もあれば、単に田中の姿をひとめ見たいと
いう地元新潟の熱烈な支持者がやってくることもある。
大方は、「橋を架けて欲しい」「○○地区の堤防が危ないから補修を」
などといった陳情である。
そうした中での早坂の話は、こうであった。
「70歳くらいのばあちゃんが、突然、『おい、角ッ』と言い出し、オヤジ
(田中)の
そばににじり寄ってきたんだ。オヤジが『おお、元気か』と返していた
くらいだから、ばあちゃんはどうやら新潟の選挙区で長い間のオヤジの
支援者だったようだ。
続けて、ばあちゃんが訴えた。要するに自分のバカ息子がオンナをつくって
家を出て行ってしまった。新潟県内にはいるらしいが、残った嫁と小さな
子どもが、どうしていいものかと泣いてばかりいる。角は警察のお偉方を
知っているだろうから、なんとか捜してくれないかという〝陳情〟だった」
それを耳にした田中は、その場にいた早坂に、ただちにこう命令したと
言うのである。「警察庁長官に電話だッ」田中は、電話に出た長官は、
老母と息子の名前、住所やコトの経緯などにより簡単に告げたあと、
こう付け加えたそうである。「どうも気の弱い息子のようだから、手荒く
せんで家まで連れて帰ってくれ」
長官のお声がかりとなれば、新潟県警も手抜きなしで万全の〝捜査〟を
してくれること請け合いだ。
● 人心収攬術
人々の心をうまくとらえてまとめること。 また、人々の信頼を
かちえること。
● 山のよう
物を多く積みあげるさま、物事が多くあるさまをいう。
● 極め付き
書画・刀剣・骨董類に極め書き[キワメカ゚キ](鑑定書・証明書で
極札[キワメフダ]とも言う)がついているもののことです。
この続きは、次回に。