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Next Stage 令和4年2月5日「College edge」

日経新聞 2022年(令和4年)1月26日「College edge 日本再生 学問で地道に」

の記事が掲載されておりました。

 

記事の感想ですが、私には〝ちょっと〟難しい内容でした。

ご参考に、ご紹介致します。

 

2022.2.5

株式会社シニアイノベーション

代表取締役 齊藤 弘美


 

College edge

 

日本再生 学問で地道に

 

危機のいま 日本人をよく知る

 

日本の元気がない。

経済は停滞が続き、政治のリーダーシップも混迷続きだ。

この衰えを〝第二の敗戦〟とみる向きもある。先が見えない中、個人や

組織はどう動けばいいか。日本人をよく知ることから再生が始まると説く

民俗学者、新谷尚紀さんに聞いた。

 

民俗学者 新谷尚紀

しんたに・たかのり 

早稲田大大学院史学科修了。慶大で社会学博士号取得。

国立歴史民俗博物館教授、総合研究大学院大学教授を経て、同名誉教授、

国学院大客員教授。著書に「民俗学とは何か」「神社とは何か」など。

 

—-なぜ停滞から抜けだせないのでしょうか。

 

「誰が何を決めているのか知ろうとしない。みんながまねをする。

付和雷同する。ブームが来ると、すぐに乗ってしまう。

日本の文化、日本人に染みついている社会的、政治的な行動パターンが

根っこにあるのではないでしょうか。コロナ禍など危機に遭っても、

きちんと対応できない。昔から変わっていないのです」

「その理由を探ろうと始まったのが、柳田国男の民俗学です。

柳田は敗戦後の1949年に『庭本を知るために』という講演をしています。

なぜ敗れたか、こんな状態になったのかは、日本人の考え方、行動を

歴史的に追跡することで分かる。

これまで顧みられなかった生活の歴史にヒントがあると指摘しています」

「この学問の方法でみていくと、どうやら、日本人には、人を不幸にする

原因が社会にある、誰に責任があるのかという点を突きつめないところ

がある。『明治大正史 世相篇』で、公的な権利意欲の欠如について

『われわれは公民として病みかつ貧しいのであった』と言っています。

 

—-どんな方法ですか。

 

「柳田は自分の民俗学を『反省の学問』と呼んでいて、日本人のこれまでの

生活を独自の視点で追いかけたのです。それぞれの地方の行事や習慣などを

たくさん集めて、比較する。その際、伝わるものと変わるものの、つまり

伝承と変遷の二つが共存しているとかんがえた。その歴史から、いまも

変わらない日本人の特性が見えてくるのです」

「あくまで、私の仮説ですが、背景として、考えられるのが、2000年

以上続いてきた稲作文化です。田植えや収穫祭や冠婚葬祭などの行事、

あるいは、水利施設の管理などはいずれも稲作を続けるための共同作業

です。その延長線上に律令国家や武家政権もある。

これを支えた発想とか行動パターンは、近代に入っても、容易には変わら

ないのです。だから、今も和を重んじ付和雷同する」

「その際、大事なのは時間と空間を超えて、データを分類、整理することで、

物事の変遷をダイナミックに、動画のようにとらえることです。

この方法で生活文化の歴史が分かってくるし、その中から良い点と悪い

点がはっきりと見えてくる。どこを改めて、創意工夫をすべきかが浮かび

上がってくるのです」

 

——研究成果をどう生かしますか。

 

「学問を通じて得た知識は、現実を変えるために使っていくべきですね。

日本の、日本人の良い点、悪い点、すべてを知った上で、体質を改善して

いく。いきなりは無理なので、教育を通じて一歩一歩、地道に取り組む

しかないですね」

「民俗学の手法を使い、日本と日本人の現実、自分たちがどんな人間かが

自覚できてくれば、国際的な発信もやりやすくなる。

国際社会では、日本人の生き方や考え方を異文化の外国人に理解してもらう

人がますます重要になってきている。歴史を踏まえ、こんな慣習があると

説明すると、理解も深まるはずです」

「ただ、悩ましいのは、この学問の独自性がそれほど理解されていない

ことです。歴史学や社会学、文化人類学などと混同されて、欧米にはない、

伝承分析学という独創的な視点と方法が、十分には理解されず共有されて

いないのです」

「危機に立ち向かうという意味では、敗戦後より学問の重要性はいまこそ

高まっているかもしれません。柳田は学問だけが世を救うと訴えました。

民俗学は世のため人のための学問なんです。その意義を次の世代に伝える

ためにも、まだまだ頑張りたいのですね」

 

コロナ揺れる世界

 

立ち位置知り 進路を定める

 

日本や日本人について知ることが、今ほど重要な時代はないかもしれない。

パンデミック(世界的大流行)に揺れ、不透明さが増す世界の中で、進む

べき道を選ぶには手掛かりが必要だ。自分が立っている位置を確かめた上で、

先行きを考えざるを得ない。

新谷さんによれば、「柳田民俗学」には、日本人の弱さを補い、再起を

促す役割が期待できる。どこに問題があり、どう修正すればいいかも見つ

かるという。

「ネバーギブアップ、いまからでも遅くない。やり直しはきくぞというのが

民俗学の考え方なんです」

ただ、学問自体は、ややハードルが高い。調査の対象になる地域が広く、

古代から現代までの長い歴史を見渡す視野の広さが必要だ。

柳田やその高弟、折口信夫がのこした文献は、今では読むのが難しく、

誤解や無理解が広がる原因にもなっているらしい。

壁を乗り越えて学べば、それだけの成果も得られそうだ。

(編集委員 玉利伸吾)

 

● 付和雷同

 

自分にしっかりとした考えがなく、他人の言動にすぐ同調すること。

▽「付和」は定見をもたず、すぐ他人の意見に賛成すること。

「雷同」は雷が鳴ると万物がそれに応じて響くように、むやみに他人の

言動に同調すること。「雷同付和らいどうふわ」ともいう。

「付」は「附」とも書く。

 

● 柳田国男

 

  名もなき庶民(常民)の歴史や文化を明らかにしたいと考え、


    「常民文化の探求」と「郷土研究」の必要性を説く

 

「日本民俗学」の創始者で、近代日本を代表する思想家でもあった柳田

國男(1875~1962)は、明治8年7月31日に兵庫県神東郡田原村辻川と

いう農村の医者・国学者であった父松岡操の六男として生まれる。

幼少期に体験した飢饉、故郷を離れて見聞きした庶民の暮らしや間引き

慣習の悲惨さを思い、「経世済民の学」を志向、東京帝国大学法科大学

(現東京大学)で農政学を学ぶ。

大学卒業後、「農政官僚」となり、明治34年に信州飯田藩出身の柳田家の

養嗣子となる。視察や講演旅行で日本各地の実情に触れ、普通の人々への

関心を深め、文書に書かれた政治や事件が中心の従来の歴史学を批判、

名もなき庶民(常民)の歴史や文化を明らかにしたいと考え、「常民

文化の探求」と「郷土研究」 の必要性を説く。

それが、人々の現実の悩みに応え得る途と思ったからである。

官界では、「貴族院書記官長」(大3~8)という要職を得るが辞任、

旅を条件に東京朝日新聞社客員になる。その後、請われて「国際連盟

委任統治委員」(大 10~12)に就任したが、関東大震災を機に辞任して、

新たなる学問を興すための活動を開始する。

昭和初期に砧村(現成城)に家を建て、そこを拠点として日本人の口頭

伝承・伝統ことば・固有信仰の収集と研究、出版活動などを精力的に行う。

特に戦後は、次代を担う若者達のため、日本人のアイデンティティ確立を

めざした活動を行い、稲の問題や沖縄研究、さらに教育問題にも情熱を

注ぐ。また私財を投じて民俗学研究の中核機関「(財)民俗学研究所」(昭

23~32)も設立する。研究所解散後には、蔵書類を関係の深かった成城

大学へ寄託(逝去後、遺言により寄贈)した。

青年時代に抒情詩人としても注目された柳田の文章は、文学作品としての

評価も高いが、日本人の生活慣習や歴史伝承、民俗信仰を記した『遠野

物語』『明治大正史 世相編』『郷土生活の研究法』『日本の祭』、戦後

日本人のアイデンティティ再構築のために書いた『先祖の話』、日本人の

源流を求めた最後の著作『海上の道』等百数十冊に及ぶ著作は、日本文化史

研究上の広範な礎となっている。「日本民俗学」創設と普及の功により、

昭和15年度の第12回朝日文化賞を受賞、また帝国芸術院会員(昭22)・

日本学士院会員(昭24)となり、昭和26年11月には第10回文化勲章という

栄誉も受けている。

生涯をかけ「世のため人のための学問」を追求した柳田國男は、国家の

近代化の担い手として活躍し、後に伝統文化の擁護者として明治・大正・

昭和の激動の時代を生き、昭和37年8月 8日波乱に満ちた生涯を閉じた。

享年87歳、暑い日であったという。

 

● 伝承

 

1. 伝え聞くこと。人づてに聞くこと。

   「浪士数百名島津泉州に就 (つき) て暴挙の企あるの趣、疾くも―為 (し) 

    たりしかば」〈染崎延房・近世紀聞〉

2. ある集団の中で、古くからあるしきたり・信仰・風習・言い伝えなどを

     受け継いで後世に伝えていくこと。また、そのようにして伝えられた

     事柄。「郷土芸能を―する」

 

● 変遷(へんせん)

 

時の流れとともに移り変わること。「歌もまた時代につれて―する」

 


 

いかがでしたでしょうか。

 

私は、時間をかけて、よく理解したいと思います。

 

2022.2.5

株式会社シニアイノベーション

代表取締役 齊藤 弘美

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