お問い合せ

ピーター・F・ドラッカー「経営者の条件」㊿+48

臨時のものは生き延びる。それが政治および社会における厳粛な事実である。

イギリスの酒場の営業時間規制、フランスの家賃統制、ワシントンの仮の

政府庁舎は、全て数か月の臨時措置として第一次世界大戦中にあわただしく

スタートした。しかしいずれも、半世紀以上存続している。

成果をあげるエグゼクティブは、この厳粛な事実を知っている。

もちろん足跡の措置をとるべきこともあろう。しかしそのような措置を

とるときには、「もし仮に、これが長期のものであってもそうするか」と

自ら問わなければならない。もし答えが「ノー」ならば、より一般的、

より概念的、より包括的な問題解決、すなわち正しい原則を定めるべく

さらに努力しなければならない。

したがって成果をあげるエグゼクティブは、多くの意思決定は行わない。

しかしそれは、彼が一つの意思決定に時間をとられすぎるからではない。

むしろ、基本の方針に関わる意思決定は、症状や方便に関わる意思決定

よりも時間は必要としない。たくさんの意思決定を行う必要がなくなる

からである。

成果をあげるエグゼクティブは、原則や方針によって一般的な状況を解決

していく。そのため彼は、ほとんどの問題を単なる原則の適用の問題と

して解決していくことがある。

「法律の多い国は無能な法律家の国である」という古い諺がある。

そのような国は、あらゆる問題を法の一般原則のもとに開ける個々の

問題としてではなく、すべて特殊な問題として解決しようとする。

これと同じように、多くの意思決定を行うエグゼクティブは怠慢で成果を

あげられないエグゼクティブである。

もちろん意思決定を行う者は、常に非定型的なこと、異常なことが起こって

いないかを調べなければならない。そのためには、「観察されるものは

正しく説明されているか、すべて説明されているか」を問わなければ

ならない。

解決策がもたらすべきだったもの、例えば自動車事故の減少について

書き留めておき、本当にそれが実現されているかを定期的に確認しなけ

ればならない。そして最後に、非定期的なこと、説明できないこと、

たとえ小さくとも思わぬ事態が怒っているときには、再び元に戻って

問題を検討し直さなければならない。

これまで述べてきたことのすべては、二○○○年以上も前に、ヒポクラテスが

医療診断のための原則として定めたものである。さらにまた科学的観察

としてアリストテレスが定式化し、三○○年前にガリレオが確認したもの

である。

すべて古くからよく知られ、時の試練を経た原則である。

かつわれわれが学ぶことができ、体系的に利用することのできる原則で

ある。

 

● 厳粛

 

1. おごそかで、心が引き締まるさま。「―な儀式」

 

2. まじめで、きびしいさま。真剣なさま。

   「選挙の結果を―に受けとめる」

 

3. 重大で動かしがたいさま。「死は―な事実だ」

 

● 概念的

 

 概念によっているさま。 個々の特性は見ず、共通点だけを大まかに取り

あげるさま。ときに、現実味に欠ける、具体的でないという非難の意味が

込められる。

 

● 包括的

 

「包括的」とは、全体をまとめている様を意味する言葉

類似した言葉として「総括的」がある。

これらの言葉は実体のある物だけでなく、事象・概念など幅広く用い

られる。 それぞれ微妙な違いがあり、「包括的」は、含まれるそれ

ぞれの要素の大小や価値の有無などの違いによらず、同じとみなした

上で、すべてをまとめた状態や概念のこと。

 

● 方便

 

1. 《(梵)upāyaの訳。近づく意》仏語。人を真実の教えに導くため、

     仮にとる便宜的な手段。

 

2. ある目的を達するための便宜上の手段。「うそも―」

 

3. (多く「御方便」の形で)都合のよいさま。

     「でも、御―なものだ」〈藤村新生

 

● 怠慢

 

当然しなければならないことをしないこと。なまけて、おろそかにする

こと。また、そのさま。「―な行政」「職務―」

 

● 非定型的

 

「非定型」とは「典型的ではない」という意味で、20~30代の若者、

特に女性に多くみられるうつ病です。いわゆるうつ病とは症状は違い、

むしろ逆の症状が現れる事もあります。いわゆる逆転した自律神経症状と

いわれるものです。2017/10/11

 

● ヒポクラテス

 

ヒポクラテス(ヒッポクラテース、古代ギリシア語: Ἱπποκράτης、英語

Hippocrates , 紀元前460年ごろ – 紀元前370年ごろ)は古代ギリシア

医者

エーゲ海に面したイオニア地方南端のコス島に生まれ、医学を学びギリ

シア各地を遍歴したと言い伝えられるが、その生涯について詳しいことは

分かっていない。ヒポクラテスの名を冠した『ヒポクラテス全集』が今日

まで伝わるが、その編纂はヒポクラテスの死後100年以上経ってからと

され、内容もヒポクラテス派(コス派)の他、ライバル関係であった

クニドス派の著作や、ヒポクラテスの以後の著作も多く含まれると見ら

れている。

ヒポクラテス(或いはヒポクラテス派)の最も重要な功績のひとつに、

医学を原始的な迷信呪術から切り離し、臨床と観察を重んじる経験

科学へと発展させたことが挙げられる。さらに医師の倫理性と客観性に

ついて『誓い』と題した文章が全集に収められ、現在でも『ヒポクラテスの

誓い』として受け継がれている。 人生は短く、術のみちは長い “ὁ βίος

βραχύς, ἡ δὲ τέχνη μακρή.” と言う有名な言葉もヒポクラテスのものと

されており、これは「ars longa, vita brevis アルスロンガ、ウィータブレ

ウィス」というラテン語訳で現代でも広く知られている。

病気は4種類の体液の混合に変調が生じた時に起こるという四体液説

唱えた。また人間のおかれた環境(自然環境、政治的環境)が健康

及ぼす影響についても先駆的な著作をのこしている。

これらヒポクラテスの功績は古代ローマの医学者ガレノスを経て後の

西洋医学に大きな影響を与えたことから、ヒポクラテスは「医学の父」、

医聖」、「疫学の祖」などと呼ばれる。

 

 

この続きは、次回に。

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