お問い合せ

ピーター・F・ドラッカー「経営者の条件」㊿+67

大部分の問題は何もしなくてもうまくいくわけではないが、かといって

何もしないと取り返しがつかなくなるわけではないといったものである。

機会があるとしても、変革や革新のための機会ではなく改善のための

機会である。問題にしても機会にしても規模は大きい。

しかし行動しなくても生き延びることはできる。行動すれば状況は改善

される。

このような状況下においては、行動した場合としなかった場合の犠牲と

リスクを比較しなければならない。正しい決定のための原則はない。

だが指針とすべき考えは明確である。個々の具体的な状況において、

行動すべきか否かの決定が困難なケースはほとんどない。

 

第一に、得るものが犠牲やリスクを大幅に上回るならば行動しなければ

ならない。第二に、行動するかしないかいずれにしなければならない。

二股をかけたり両者の間をとろうとしたりしてはならない。

扁桃腺や盲腸を半分切除しても、リスクは完全に切除する場合と同じか、

それ以下である。手術はするかしないかである。

同じように、決定も行うか行わないかである。半分の行動はない。

半分の行動こそ常に誤りであり、必要最低限の条件、すなわち必要条件を

満足しえない行動である。

決定の準備は整った。すなわち、決定が満たすべき必要条件は十分に検討し、

選択肢はすべて検討し、得るべきものとリスクはすべて天秤にかけた。

すべてはわかった。ここにおいて何を行うべきかは明らかである。

決定はほぼ完了した。しかし、決定の多くが行方不明になるのがここで

ある。

決定が愉快でなく、評判もよく、容易でないことが急に明らかになる。

とうとうここで、決定には判断と同じくらい勇気が必要であることが

明らかになる。薬は苦いとは限らないが、一般的には良薬は苦い。

決定が苦くなければならないという必然性はない。しかし一般的に成果を

あげる決定は苦い。

ここで絶対にしてはならないことがある。もう一度調べようとの声に

負けることである。それは臆病者の手である。

臆病者は勇者が一度死ぬところを一○○○回死ぬ。「もう一度調べよう」と

いう誘惑に対しては、「もう一度調べれば、何か新しいことが出てくると

信ずべき理由はあるか」を問わなければならない。

もし答えがノーであれば再度調べようとしてはならない。

自らの決断力のなさのために有能な人たちの時間を無駄にすべきではない。

とはいえ、決定の意味について完全に理解しているという確信なしに決定を

急いではならない。相応の経験をもつ大人として、ソクラテスが神霊と

読んだもの、すなわち「気をつけよ」とささやく内なる声に耳を傾け

なければならない。

意思決定の正しさを信ずるかぎり、困難や不快や恐怖があっても決定は

しなければならない。しかしほんの一瞬であっても、理由はわからずとも、

心配や不安や気かがりがあるならば、しばらく決定を待つべきである。

私のよく知っている最高の意思決定者の一人は、「焦点がずれている

ようなときには、ちょっと待つことにしている」と言っている。

一○回のうち九回は、不安に感じていたことが杞憂であることが明らか

になる。しかし一○回に一回は、重要な事実を見落としたり、初歩的な

間違いをしていたり、まったく判断を間違っていたりすることに気づく。

一○回に一回は突然夜中に目が覚め、シャーロック・ホームズのように、

重要なことはバスカヴィル家の犬が吠えなかったことだと気づく。

とはいっても、決定を延ばしすぎてはならない。

数日せいぜい数週間までである。それまでに神霊が話しかけてこなければ、

好き嫌いにかかわらず精力的かつ迅速に決定をしなければならない。

エグゼクティブは好きなことをするために報酬を手にしているのではない。

なすべきことをなすために、成果をあげる意思決定をするために報酬を

手にしている。

 

● 神霊

 

1. 神。神のみたま。「―が宿る」

 

2. 霊妙な神の徳。神の霊験。

 

3. 人が死んで神となったもの。

 

● 杞憂

 

《中国古代の杞の人が天が崩れ落ちてきはしないかと心配したという、

列子」天瑞の故事から》心配する必要のないことをあれこれ心配する

こと。取り越し苦労。杞人の憂え。「―に終わる」

 

● 迅速

 

物事の進みぐあいや行動などが非常に速いこと。また、そのさま。

「―な報道」「―に処理する」

 

 

この続きは、次回に。

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