お問い合せ

P・F・ドラッカー「創造する経営者」⑨

(7) 既存のものは、資源を誤って配分されている。

 

企業は、自然現象ではなく社会現象である。そして社会現象は正規分布

しない。つまり社会現象においては、一方の極の一○%からせいぜい二○%と

いうごく少数のトップの事象が成果の九○%を占め、残りの大多数の事象は

成果の一○%を占めるにすぎない。

これは市場についてもいえる。数千の顧客のうちごく少数の大口顧客に

よって、受注の大半は占められる。製品ラインの中の数百品目のうちごく

少数の品目によって、売上げの大半が占められる。営業についてもいえる。

数人の営業部員が新規取引の三分の二をとってくる。工場についてもいえる。

わずかの生産ラインが生産の大半を賄う。研究についてもいえる。

数人の研究者によって重要なイノベーションのほとんどが生み出される。

人事の問題についてもいえる。問題の大半は常に特定の場所や特定の社員が

引き起こす。無断欠勤や中途退職、提案制度のもとにおける提案、さらには

事故についてもいえる。ニューヨーク・テレフォン社の調査例が示して

いるように病欠率についてもいえる。

しかし社会現象の分布に関するこの簡単な仮説が、次のような大きな意味を

もつ。

第一に、業績の九○%が業績上位の一○%からもたらされるのに対し、

コストの九○%は業績を生まない九○%から発生する。業績とコストとは

関係がない。すなわち業績は利益と比例し、コストは作業の量と比例する。

 

第二に、資源と活動のほとんどは、業績にほとんど貢献しない九○%の

作業に使われる。すなわち資源と活動は、業績に応じてではなく作業の

量に応じて割り当てられる。その結果、高度に訓練された社員など最も

高価で生産的な資源が、最も誤って配置される。大量の仕事を処理して

いかなければならないという現実と、困難な仕事には一種の誇りが伴うと

いう心理が相まった結果でもある。

これらのことはあらゆる調査で明らかにされている。

ここに一つの例がある。

 

ある大手のエンジニアリング会社では、高給の人材を擁する数百人から

なる技術サービス陣を誇りにしていた。事実彼らは一流だった。

しかし彼らの配置状況を分析したところ、確かによく働いていたが、

業績にはほとんど貢献していないことがわかった。彼らのほとんどが、

彼らにとって興味のある問題、特に小口顧客からの技術的に面白い問題と

取り組んでいた。それらの問題は解決してもほとんど業績にはつながら

なかった。

大口顧客は、売り上げのほぼ三分の一を占める自動車メーカーだった。

しかし、技術サービス陣のうち自動車メーカーのエンジニアリング部門や

工場に足を運んだことのある者はごくわずかだった。

「GM(ゼネラルモーターズ)やフォードは、私たちを必要とはしていない。

彼らのところには人がいるから」がその弁解だった。

同じように、多くの企業において、営業部員が誤って配置されている。

優秀な営業部員の多くが、昨日の製品、あるいは、マネジメントが独善と

見栄から成功させようとしている並の製品を担当させられている。

そして明日を担うべき重要な製品については、売るための努力が十分

払われていない。大いに売るべき製品が軽く扱われている。

「特別のことをしなくても、うまくいっているから」と片づけられている。

研究開発、設計、市場開拓、広告さえも、同じように業績ではなく作業の

量に応じて力が注がれている。生産的なものではなく困難なものに、明日の

機会ではなく昨日の問題に力が注がれている。

 

第三に、利益の流れとコストの流れは同量ではない。

経理の帳簿や経営者の頭の中では、利益とコストは循環しているが、

現実は違う。確かに、利益はコストを賄う。しかし、利益を生み出す活動に

意識や業績と同じように活動やコストも拡散する。

したがって、企業活動の評価と方向づけの見直しを常に行わなければ

ならない。しかもこの見直しは、見直しが最も必要でないと思われる

活動、すなわち現在の事業について最も必要とされる。

事業が最も成果をあげなければならないのは現在である。

最も厳格な分析と最も大きな労力が必要とされているのが現在である。

しかも、昨日の洋服につぎを当てるほうが明日の型紙をデザインする

よりも、危険なまでに易しい。

断片的なアプローチでは問題は見えない。事業を理解するには、事業全体を

見なければならない。企業の資源や活動を全体としてとらえ、それらの

資源や活動、どのような製品、市場、顧客、用途、流通に割り当てられて

いるかを見なければならない。どのような活動が問題に振り向けられ、

どのような活動が機会にふり向けられているかを見る必要がある。

資源や活動の方向づけと配分を、常時、比較し検討していかなければ

ならない。

部門的な分析では、事実が誤って伝えられ方向を誤る。

事業全体を一つの経済システムとしてみることによって初めて真の知識が

得られる。

 

 

この続きは、次回に。

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