P・F・ドラッカー「創造する経営者」⑰
アメリカのある大手食品メーカーが、数年前グルメ食品を発売した。
ほかの食品は、大規模店舗、特にスーパーで売っていたにもかかわらず、
この新製品は食品専門店だけで売ることにした。
そしてこの新事業は失敗した。
しかし、その後間もなく、あまり名の知られていない同業他社がおなじ
種の食品をスーパーを通じて売り出して成功した。
グルメ食品は、料理の腕がなくとも特別の料理を簡単につくれるように
するためのものだった。しかし一般の主婦にとって、食品専門店は日常
利用する流通チャネルではなかった。食品専門店なるものがどこにある
のかを知らず、いわんや、そこで買い物などしたことはなかった。
他方、凝った料理をするために食品専門店で買い物をする少数の主婦に
とっては、どのような名を付けられていようと量産メーカーによって
つくられた加工食品は縁のないものだった。
今日アメリカのマスコミ雑誌の苦境は、主としてその流通チャネルに
原因がある。毎週一○○万部を売る雑誌が、大量流通チャネルを利用して
いない。予約購読を勧誘し個別に雑誌を郵送している。
一人の購読者を獲得して毎号雑誌を郵送するためのコストが、予約講読料
よりも高くなっている。
その結果、広告主が自社の得る価値と読者の得る価値の両方のコストを
負担させられている。もちろん喜んで負担しているわけではない。
これが実は、昨日の有力誌が発行部数の新記録をつくったとたんに廃刊に
なっている原因である。
アメリカの雑誌が生き残るには、一括予約と一括輸送を戸別配達に結び
つける新しい流通チャネルが必要である。だが、そのようなシステムは
残念ながらまだない。しかし、まったく不可能ではないことは電話の例が
教えてくれるはずである。電話のコストは、大量システムのためのもので
ありながら、サービスは個別である。
市場と流通チャネルは、業績をもたらす領域として製品よりも重要な
ことがある。製品は経理上も事業の一部である。事業の領域内にある。
しかし、市場と流通チャネルは、経済的にのみ事業の一部である。
経済的には、製品は、市場にあって、流通チャネルを通じて最終用途の
ために購入されて製品となる。しかし、市場と流通チャネルのほうは製品
から独立して存在する。一義的に存在する。製品の方が二義的に存在する。
市場と流通チャネルは事業の外部にあってコントロールできない。
製品の変更は命令できても、市場や流通チャネルの変更は命令できない。
確かに、ある程度は市場やチャネルを変化させられるが、ごくわずかに
すぎない。
● 一義的
① 意味が一種類であるさま。 ただ一つで、他に解釈の余地を残さないさま。
② 最も重要な根本的な意義であるさま。 第一義的。
● 二義的
根本的でないさま。二次的。「―な問題とする」
この続きは、次回に。