お問い合せ

P・F・ドラッカー「創造する経営者」㊿-76

○ ビジョンを実現する

 

将来いかなる製品やプロセスが必要になるかを予測しても意味はない。

しかし、製品やプロセスについていかなるビジョンを実現するかを決意し、

そのようなビジョンの上に、今日とは違う事業を築くことは可能である。

未来において何かを起こすということは、新しい事業をつくり出すこと

である。すなわち、新しい経済、新しい技術、新しい社会についての

ビジョンを事業として実現するということである。

大きなビジョンである必要はない。しかし今日の常識とは違うもので

なければならない。

ビジョンは企業家的なものでなければならない。事業上の行動を通じて

実現すべきものでなければならない。

それは、富を生む機会や能力についてのビジョンである。

したがって、「未来の社会はどのようなものになるべきか」という社会

改革家や、革命家や、哲学者の問いからは答えは出てこない。

企業家的なビジョンの基礎となるものは、「経済、市場、知識における

いかなる答えは出てこない。企業家的なビジョンの基礎となるものは、

「経済、市場、知識におけるいかなる変化が、わが社の望む事業を可能

とし、最大の経済的成果を可能にするか」との問いである。

 

このアプローチは、歴史家の目には、際立って個別的に見える。

そのため彼らはこのアプローチの重大さを見過ごし、それがもたらす影響に

気づかない。もちろん偉大な哲学的ビジョンが深遠な影響を与えることは

ある。しかし現実にはそれほどはないといってよい。

これに対し、事業上のビジョンは、限定された世界のものではあっても、

その多くが世の中を変える。イノベーションを行う者は、全体として見る

ならば、歴史家たちが認識しているよりもはるかに大きな影響を人類の

歴史に与える。

 

企業家的なビジョンは、社会や知識のすべての領域にわたるものではなく、

一つの狭い領域についてのものであるという事実にこそ、活力の源泉が

ある。こうしたビジョンをもつ者が、経済や社会に関わるほかのことに

ついては、間違った考え方をしていることは大いにありうる。

しかし自らの事業の焦点において正しければ問題ではない。

成功に必要なものは、ある小さな特定の発展だけである。

 

IBMを築いたトーマス・ワトソンは、技術の進歩については、まったく

理解していなかった。しかし彼は事業を築く基礎としてデータ処理なる

ビジョンをもっていた。彼の事業は、長い間タイムレコーダーという

日常的な製品に限られていた。しかし自分とはまったく関係のなかった

戦時中の研究から、データ処理を可能とする技術すなわちコンピュータの

技術が生まれたとき、彼の事業はすでに飛躍の準備ができていた。

一九二○年代、ワトソンがパンチカード機器の設計、販売、設置という

変哲のない小さな事業を経営していた頃、アメリカのブリッジマンや

オーストリアのカルナップなどの数学者や論理学者が次々に研究を発表

していた。彼らが、アメリカの中小企業IBMのことを知っているはずは

なかった。自分たちの研究をIBMに結びつけて考えることなどさらに

ありえなかった。

しかし、第二次世界大戦中に新しい技術が現れたとき、それを実用化

したのはワトソンのIBMであって彼らの哲学ではなかった。

 

リチャード・シアーズ、ジュリアス・ローゼンウォルト、アルバート・

ローブ、ロバート・E・ウッド将軍など、シアーズ・ローバックを築いた

人たちは、社会について関心と想像力をもっていた。

しかしアメリカの経済を変えようなどと考えた者は一人としていなかった。

伝統的な階層別市場に対立するものとして大衆市場の概念をもつに

いたったのでさえ、かなりあとのことだった。

だがシアーズ・ローバックは、設立の当初から、貧しい者の金も、金持ちの

金と同じように、購買力に転ずることができるはずであるとしていた。

もちろんそのような考えは新しいものではなかった。

社会改革者や経済学者がすでに何十年も前から唱えていた。

現実にヨーロッパでは、この考えから協同組合運動が生まれていた。

しかしアメリカでは、この考えに基づく最初の事業が、シアーズ・ロー

バックだった。同社は、「いかにして田舎の農民を小売業の顧客にする

ことができるか」という問いからスタートした。

答えは「都市と同じように、信頼できる製品を低価格で手に入れられる

という保証を与えればよい」という簡単なことだった。

だが当時においては、そのような考えはあまりに大胆であって革命的で

さえあった。

 

この続きは、次回に。

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