お問い合せ

P・F・ドラッカー「創造する経営者」㊿-80

○ 全人格的な献身と勇気

 

そして最後に全人格的な献身が必要とされる。「そのビジョンを心から

信じているか。本当に実現したいか」「本当にその仕事をしたいか。

本当にその事業を経営したいか」である。

未来に何かを起こすには勇気を必要とする。努力を必要とする。

信念を必要とする。その場しのぎの仕事に身を任せていたのでは、未来は

つくれない。

目の前の仕事では足りない。いかなるビジョンも、万事が順調というわけ

にはいかない。むしろそうであってはならない。未来に関わるビジョンの

うち必ず失敗するものは、確実なもの、リスクのないもの、失敗しようの

ないものである。

明日を築く土台となるビジョンは不確実たらざるをえない。それが実現

したときどのような姿になるかは誰にもわからない。リスクを伴う。

成功するかもしれないが失敗するかもしれない。

もし不確実でもなくリスクを伴うものでもないならば、そもそも未来の

ためのビジョンとして現実的ではない。なぜならば、未来それ自体が

不確実であって、リスクを伴うものだからである。

したがって、ビジョンに対する全人的な献身と信念がないかぎり、必要な

努力も持続するはずはない。

もちろん、企業に働く者は、狂信的であることはもちろん、熱狂的で

あってもならない。起こることは望めば起こるというものではなく、

たとえ起こるように最大の努力を傾けたからといって、必ずしも起こる

ものではないことを認識しておかなければならない。

したがって、未来において何かを起こすための仕事も、ほかのあらゆる

仕事と同じように、今日までの成果と明日の見通しを考慮し、続ける

べきか否かを決めるべく定期的に検討していかなければならない。

しかし同時に、未来において何かを起こすために働く者は、「これが

本当に望んでいる事業だ」と胸を張っていうことができなければなら

ない。

あらゆる企業が、未来において何かを起こすためのビジョンを絶対に

必要とするわけではない。現在の事業を効率的なものにすることさえ

できない企業やマネジメントは多い。そのような企業でも、しばらくは

存続しうる。特に大企業は、歴代のマネジメントの勇気や努力やビジョン

のおかげで長い間苦労しなくともすむ。

だが明日は必ず来る。そして明日は今日とは違う。

今日最強の企業といえども、未来に対する働きかけを行っていなければ

苦境に陥る。個性を失いリーダーシップを失う。

残るものといえば、大企業に特有の膨大な間接費だけである。

起こっていることを理解できなければ、未来に対する働きかけはできない。

その結果新しいことを起こすというリスクを避けたために、起こったことに

驚かされるというはるかに大きなリスクを負うことになる。

リスクとは、最大の企業でさえ処理できないものであると同時に、最小の

企業でさえ処理できるものである。

マネジメントたる者は、自らの手に委ねられた人材に仕える怠情な執事に

とどまらないためにも、未来において何かを起こす責任を受け入れなければ

ならない。進んでこの責任を引き受けなければならない。

進んでこの責任を引き受けなければならない。進んでこの責任を引き受け

ることが、単に優れた企業から偉大な企業を区別し、サラリーマンから

事業家を峻別する。

 

● 全人的

 

人を、身体や精神などの一側面からのみ見るのではなく、人格や社会的

立場なども含めた総合的な観点から取り扱うさま

特に医療現場においては「全人的医療」と言い、身体的な治療に終始

しない総合的医療を意味する語として用いられる。

 

● 狂信的

 

信仰心が高じて、正常な判断力を失った状態で、教えに従っているさま

冷静になってみれば疑念も湧きそうな考え方に、無批判に信じ込んで

いるさま。

 

● 支える(ささえる)

 

 目上の人のそばにいて、その人に奉仕する。

「師に―・える」「父母に―・える」

 

● 執事(しつじ)

 

事をとり行なうこと。また、その人

 

● 峻別

 

厳しくはっきりと区別すること。また、その区別。「公私を―する」

 

 

この続きは、次回に。

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