お問い合せ

「道をひらく」松下幸之助 ㊿+23

・学ぶ心

 

自分ひとりの頭で考え、自分ひとりの知恵で生みだしたと思っていても、

本当はすべてこれ他から教わったものである。

教わらずして、学ばずして、人は何一つ考えられるものではない。

幼児は親から、生徒は先生から、後輩は先輩から。そうした今までの

数多くの学びの上に立ってこその自分の考えなのである。自分の知恵

なのである。だから、よき考え、よき知恵を生み出す人は、同時にまた

必ずよき学びの人であるといえよう。

学ぶ心さえあれば、万物すべてこれわが師である。

語らぬ木石、流れる雲、無心の幼児、先輩のきびしい叱責、後輩の

純情な忠言、つまりはこの広い宇宙、この人間の長い歴史、どんなに

小さいことにでも、どんなに古いことにでも、宇宙の摂理、自然の

理法がひそかに脈づいているのである。そしてまた、人間の尊い知恵

と体験がにじんでいるのである。

これらのすべてに学びたい。どんなことからも、どんな人からも、

謙虚に素直に学びたい。すべてに学ぶ心があって、はじめて新しい

知恵も生まれてくる。よき知恵も生まれてくる。

学ぶ心が繁栄へのまず第一歩なのである。

 

● 摂理

 

自然界を支配している法則。「自然の―」

 

・もっとも平凡な

 

朝起きたら顔を洗う。家の前をはいて水を打つ。しごくあたりまえの

こと。

ものをもらえばありがとう。お世話になったらすみません。とりちら

かしたら、あとかたづけ。別にむつかしい理屈も何もない。犬や猫なら

いざ知らず、人間としてなすべき、もっとも平凡な、もっともあたり

まえのことである。

ところがこれに理屈がつく。手前勝手な理屈がつくと、いつのまにやら

あとかたづけ不要。顔も洗わず水も打たず。平凡なことが何やらむつ

かしいことになって、何をなすべきか右往左往。そんなことが、きょう

このごろはあまりにも多すぎはしないか。

それもこれも、つまりは自分なりの都合のよい道を求めてのことで

あろうけれども、自他ともの真の繁栄への道は、本当はもっとも

平凡なところにある。みんなが納得するしごくあたりまえのところ

にある。

別にむつかしく考える必要はないのである。

もう一度考え直してみたい。水が低きに流れるように、夏がすぎたら

秋がくるように、自然の理にかえって、もう一度素直な心で考え直して

みたい。

 

● 右往左往

 

混乱しうろたえて、右に行ったり左に行ったりすること。また、

して秩序がないたとえ。▽「往」は行く意。「左」は「ざ」とも

読む。「左往右往さおううおう」ともいう

 

 

この続きは、次回に。

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