お問い合せ

続「道をひらく」松下幸之助 ㊿+8

○ 神無月(かんなづき)

 

● 柿の実

 

秋の気配である。大気は清澄。空が青い。その青い空に、柿の木が腕を

伸ばす。枝を伸ばす。そして小枝の先で、柿の実が鮮やかに色づいて

いく。

こどもがそれを欲しがる。樹にのぼって及び腰。竿をやたらとふりま

わす。だがそうたやすくはもぎとれない。柿の実は、小枝の先にしっ

かりつながっている。その小枝は中枝に、中枝は大枝に、またその大枝

は、幾星霜の年輪をきざむ樹の幹に、がっしりとくいこんでいる。

そしてその樹の幹は、不動の大地に深々と根をおろしているのである。

小枝だけで実がなるのではない。枝から幹から根を通じ、いわば大地

の力が実をならしているのである。

柿の実を仰ぎ見て、その見事さに感嘆するのもよいけれど、同時に足

もとの大地をもまた見定めて、その広さ深い無限の力にも思いをひそ

めたい。

いわゆる枝葉末節にとらわれて、大地の力を思わぬ姿は、こどもがや

たらと竿をふりまわす姿に似ているともいえよう。

お互いにこんな思いで、今一度わが身をふりかえってみたい。

 

■ 清澄(せいちょう)

 

澄みきっていて清らかなこと。また、そのさま。「―な山の空気

 

■ 幾星霜

 

「幾星霜(いくせいそう)」は、苦労を経た上での長い年月のことです。

苦労して何かを成し遂げた後「どのくらいの月日が経ったのだろう」

というニュアンスで使います。ただ長いだけの月日を指すときには

使いません。また、未来の長い年月のことを表す場面でも使いません。

2022/01/13

 

■ 枝葉末節(しようまっせつ)

 

 樹木で、中心からはずれている枝葉や、末のほうにある節のことと

いう意味から、転じて、本質からはずれたこまごまとした重要でない

事柄や、どうでもよい、大事でないことをたとえていう

〔例〕「服装や髪形のことを、必要以上に校則でしばるのは、教育に

とっては枝葉末節なことです。

 

 

この続きは、次回に。

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