続「道をひらく」松下幸之助 ㊿+10
● 軽々しくは
たった一つしかない生命というけれど、お互い人間の身体は、実は三
十三兆という気の遠くなるほどのたくさんの細胞が、神わざとも言う
べき巧みさで組み合わされて、その調和ある働きによって、それで見事
に成り立っているという。
なかでもそのすばらしさは、頭のなかの大脳の表面。そこには百十億
もの神経細胞がギッシリつまっていて、それらがチカチカかパチパチ
かは知らないが、ともかくも妙なる作用をして、それではじめて人間
としてのものが考えられるという。
見られるものならば見てみたいと、ソッとわが頭をなでてみるものの、
実はその百四十億の神経細胞は、まず普通人の場合、働いているのは
そのごく一部で、神に近い天才と言われる人でも、いまだかつてその
細胞全部を生かしきった人はないというのである。
そうとすればお互いに、もうこれしか考えられないとか、これこそ
絶対とか、自分だけが正しくて他はすべてまちがいとか、そう軽々
しくは言えないような気がしてくる。
もう一度謙虚に考え直してみたい。もう一度素直に学び直してみたい。
● すぎる
たべすぎるということがある。のみすぎるということがある。何にで
もすぎるということがある。ついついの目先の欲に走るのである。
それも人間の一面であり、人間社会に一断面でもあろう。足りないの
も困るが、すぎるのも困る。
すぎた過ちはたちまちわが身にかえり、わが身だけでなく、社会全体
にもかえってくることがあって、わが身も苦しめば、人びとにも迷惑
をかける。
すぎないように自分で律する。これができれば一番いいのだけれど、
そうはたやすくまいらない。
だから、他からの力でこれを抑える。言葉で、法律で、権力で、時に
は武力で。そんなことのくりかえしで人間の歴史がつづられ、そこに
いろんな悲劇も生まれてきた。他からの律する力が、またすぎる場合
が多いからである。
だからやっぱり、自分で自分を律するほか道はない。人間としての真の
道はこれしかないのである。それが王者というものである。むつかしい
けれども、やっぱりこの道を歩みたい。真の進歩を生み出すために。
この続きは、次回に。