お問い合せ

新装版 こころの朝 ⑧

22    パスツールは、成績のよい子ではなかった

  偉人の親は、どのような育て方をしたのか

  伝染病から人々を救ったパスツール①

 

子供の将来に、親が及ぼす影響は計り知れない。

パスツールの両親は、子供のペースに合わせて、温かく見守ってやることを、大切にしていた。

 

23    人の二倍、三倍の時間をかけて努力すれば、必ず追いつき、

   追い越せる

   伝染病から人々を救ったパスツール②

 

自分に力がないといって、嘆いたり、落ち込んだりする必要はない。

人の二倍、三倍の時間をかけて努力すれば、必ず追いつき、追い越せる。

これが、パスツールの、生涯にわたる姿勢だった。

 

カメなりと たゆまなければ ウサギ超ゆ

 

24    「金儲けのために研究しているのではない。

           人々に幸福を与えることが、私の願いである」

   伝染病から人々を救ったパスツール③

 

もし、パスツールが、自分の発明発見の特許権を得ていたら、おそらく世界屈指の大富豪になっていたに違いない。しかし、驚くべきことに、彼は、一つの特許権も得ようとしなかった。

 

25    失業した武士が研究開発した新商品 清水次郎長も、

        山岡鉄舟も、「あんパン」にほれこみ、全国へ宣伝

        木村屋のあんパン

 

明治維新は、多くの武士を失業に追い込んだ。

日本で最初にパン屋を開いた木村屋安兵衛も、その一人であった。

安兵衛は、作る側の思いばかり優先させ、買ってくださるお客さんの心に立つことを忘れていたのであった。店名を「文英堂」から「木村屋」に改め、日本人に合ったパンの研究を続けていくのである。

安兵衛、英三郎不父子は、饅頭からヒントを得て、パンにあんを入れてみた。

しかし、うまく焼き上がらない。そこで、西洋式にビール用の酵母を使うのをやめ、日本酒の酵母で焼いてみると、ふっくらとした〝あんパン〟ができ上がったのである。

この和洋折衷のあんパンは、爆発的な人気を博した。

五十歳を過ぎてからのゼロからの挑戦は、新商品の開発によって、大成功を収めたのであった。

 

 

この続きは、次回に。

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