チェンジ・リーダーの条件①
はじめて読むドラッカー【マネジメント編】
チェンジ・リーダーの条件
みずから変化をくりだせ!
THE ESSENTIAL ON MANAGEMENT
BY RETER F.DRUCKER EDITED BY ATSUO UEDA
P.F.ドラッカー著 上田惇生編訳
「変化はコントロールできない。
できるのは、その先頭に立つことだけである」———-P.F.ドラッカー
今日のような乱気流の時代にあっては、変化は常態である。
変化はリスクに満ち、楽ではない。悪戦苦闘を強いられる。だが、この変化の先頭に立たない限り、企業、大学、病院のいずれにせよ、生き残ることはできない。
急激な構造変化の時代にあっては、生き残れるのは、自ら変革の担い手、チェンジ・リーダーとなる者だけである。したがって、このチェンジ・リーダーとなることが、あらゆる組織にとって、21世紀の中心的な課題となる。
チェンジ・リーダーとは、変化を求め、機会とすべき変化を識別し、それらの変化を意味あるものとする者である。
日本の読者へ—-一般教養としてのマネジメント
明日の日本について、一つ確かなことがある。それは、マネジメントの役割がさらに大きくなり、企業だけでなく大学や病院などあらゆる組織にとって、命運を決する鍵をにぎる存在になるということである。
政府が行政指導によって、企業その他の組織を誘導する時代は終わった。
同時に、グローバルな競争から産業や社会を守る次代も終わった。
さらに政府の役割として、インターネット時代における知的財産権の定義と保護という仕事がある。
これもまた、政府間の協力がなければできない。
インターネットの時代にあっては、長野に住む主婦が世界中のモノの値段を知ることができる。
安くてよいものを買いたいという彼女の要求を抑えることはできない。
こうして政府による経済統制が効かなくなるとともに、個々の組織におけるマネジメントの役割が、ますます大きくなっていく。なぜならば、本書が明らかにしているように、情報を知識に転換し、その知識を行動に具体化することこそ、マネジメントの役割だからである。
そのうえ明日の日本において、労働人口のうち最大の層を占めるのは、肉体労働者である。
彼ら知識労働者は、肉体労働者とは違う種類の人たちであり、マネジメントに多くの新しい課題をもたらす。
そもそも彼らは、かつてのような意味でマネジメントされる存在ではない。方向づけのみされる存在である。
こうなると、もはやマネジメントは専門的な技能ではない。本書でも明らかにしているように、一般教養になりつつある。
一般教養とは、教育ある人間が、自らの役割を果たすために知っておかなければならないことである。
明日の日本、あるいは明日の先進国において、マネジメントを理解せずに、教育ある人間の役割を果たすことはできない。
あらゆる人間が、マネジメントとは何のことであり、その基礎となるものが何であるかを知らなければならない。
本書の目的は、マネジメントを学ぼうとする者、勤務医や開業医などマネジメント以外の分野の専門家、さらには、この知識社会に生きるあらゆる人たちに、これらのことを理解してもらうことである。
2000年夏 カリフォルニア州クレアモントにて
ピーター・F・ドラッカー
はじめに
□ 知識を行動に具体化する
経済と社会の中核に位置づけられるものは、マネジメントだということである。
なぜなら、ニューエコノミストにとって、主たる資源は知識となるからである。
すでにそうなっている。情報を知識に転換し、知識を行動に具体化することこそ、マネジメントとマネジメントにたずさわる人たちに特有の役割である。
土地、労働、資本といういわゆる経済学の三大資源に代わって、知識が主たる経済資源になったのも、マネジメントのおかげである。
□ ボスからリーダーの時代へ
こうして私が考えたマネジメントについての新しい定義、すなわち「知識を行動に具体化することに責任をもつ者」との定義から、私のマネジメント論『現代の経営』(原書名『マネジメントの実務』1954年)が生まれた。
その新しい定義のゆえに、私は、それではマネジメントが具体化すべき知識とは何か。さらには、マネジメントとは何か、マネジメントをするということは何かについて、深く考えなければならなくなった。
したがって、マネジメントについての私の著作を抜粋した本書が、この『現代の経営』の引用から始まるのは当然である。なぜなら『現代の経営』が、マネジメントとは何であり、マネジメントは何を行うかについての基本的なコンセプトを変えたからである。
それまでの定義は、マネジメントをボスと理解していた。これに対し、私が行った今日も広く受け入れられている新しい定義は、マネジメントをリーダーと見ていた。まさにこの定義こそ、本書の一貫したテーマである。
□ 体系としてのマネジメント
『現代の経営』は、マネジメントを一つの専門分野、すなわち体系的に研究し、学び、教えることができるものとしてとらえた最初のものだった。
マネジメントとは、単なる科学でもなければ、単なる技能でもないからである。
それは、科学であるとともに技能である。医学や法律、エンジニアリングと同じように、実務である。
実務は理論を基盤とする。
その理論は科学的でなければならない。厳密であって、正しさを証明できるものでなければならない。
しかし同時に、実務は応用されなければならない。応用は個別具体的であって、経験と洞察を必要とする。
有能であるためには、知識をもたなければならない。すなわち、「なぜ」行うのかを知らなければならない。同時に、「何を」行うか、「いかに」行うかを知らなければならない。
技能をもたなければならない。本書の各章も、それぞれが、「なぜ」「何を」「いかに」を扱っているはずである。願わくは、読者の方々におかれても、本書の各章を必要な知識として読まれるとともに、行動への道案内としていただきたい。
□ マネジメントの世界
今日、品質管理その他マネジメントの各分野に専門家がおり、それぞれが専門とするものをキャリアとして追求する。しかしマネジメントそのものは、そのような個別的な専門分野の一つではない。組織における意思決定と行動は、すべて組織全体に影響を与える。
□ 学び行う
本書の目的は、読者の方々に対し、マネジメントのおもな領域について知ってもらうとともに、今後とも学び続ける意思をもってもらうことにある。なぜならば、これからは、仕事と人生の双方において、学ぶことを習慣として続けてもらわなければならないからである。今日いかに博識であっても、すでにうまく行っていることをさらにうまく行うとともに、新しいことを学び行うことを続けていかないかぎり、数年後には陳腐化した存在となるからである。読者におかれては、ぜひ本書によって、マネジメントのおもな領域について通暁していただきたい。
【通暁】つうぎょう
1. 夜を通じて明け方に至ること。夜どおし。徹夜。「通暁の勤行(ごんぎょう)」
2. ある物事についてたいへん詳しく知っていること。精通。
「英文学に通暁している」
2000年夏 カリフォルニア州クレアモントにて
ピーター・F・ドラッカー
この続きは、次回に。