チェンジ・リーダーの条件-27
○ 天才の創造性はいらない
未来において何かを起こすには、特に創造性は必要ない。
必要なものは、天才の業ではなく仕事である。
ある程度は誰にでもできることである。
想像力に富むビジョンのほうが、成功の確率が高いわけではない。
平凡なビジョンが、しばしば成功する。
未来において何かを起こすには、進んで新しいことを行わなければならない。
「今日とはまったく違う何が起こることを望むか」を進んで問わなければならない。「これこそ、事業の未来として起こるべきことだ。それを起こすために働こう」と言わなければならない。
今日のイノベーションの議論において、意味なく強調されている創造性なるものは、問題の鍵ではない。
すでにアイデアは、企業だけではなく、あらゆる組織体に、利用しうる以上に存在している。
欠落しているのは、製品を超えて想像することである。
製品やプロセスは、ビジョンを実現するための道具にすぎない。
しかも具体的な製品やプロセスは、想像されることさえないのが普通である。
今日欠けているものは、ビジョンの有効性と実現性を測る基準である。
ビジョンが事業の未来を築くには、厳格な条件を満たさなければならない。
ビジョンは、実用的な有効性をもたなければならない。
「そのビジョンに基づいて行動を起こすことはできるか。それとも、話ができるだけか」を考えなければならない。
そして、行動しなければならない。
ビジョンそのものが、社会的な改革を目的にしている場合もありうる。
しかし、その構造の上に事業を築くことができなければ、起業家的なビジョンではない。
ビジョンの有効性の基準は、選挙での得票数や、哲学者からの喝采ではない。経済的な成果であり、業績である。
たとえその事業の目的が、事業としての成功ではなく、社会の改革にあったとしても、ビジョンの有効性の基準は、事業としての成果であり、事業としての繁栄である。
そして最後に、全人格的な献身が必要とされる。
「そのビジョンを心から信じているか、本当に実現したいか」「本当にその仕事をしたいのか。本当にその事業を経営したいか」である。
未来に何かを起こすには、勇気を必要とする。努力を必要とする。
信念を必要とする。その場しのぎの仕事に身をまかせていたのでは、未来はつくれない。
未来において何かを起こすために働く者は、「これが本当に望んでいる事業だ」と胸を張って言うことができなければならない。
○ 未来において何かを起こす責任
しかし、明日は必ず来る。そして、明日は今日とは違う。
そのとき、今日最強の企業といえども、未来に対する働きかけを行っていなければ、苦境に陥る。個性を失い、リーダーシップを失う。
残るものといえば、大企業に特有の膨大な間接費だけである。
起こっていることを理解できなければ、未来に対する働きかけはできない。
その結果、新しいことを起こすというリスクを避けたために、起こったことに驚かされるというはるかに大きなリスクを負うことになる。
リスクとは、最大の企業でさえ処理できないものであると同時に、最小の企業でさえ処理できるものである。
マネジメントたる者は、自らの手にゆだねられた人的資源に仕える惰性な執事にとどまらないためにも、未来において何かを起こす責任を受け入れなければならない。
進んでこの責任を引き受けること、すなわち企業における最大の経済的課題に関わる責任に意識的に取り組むことこそ、単なる優れた企業から偉大な企業を区別し、サラリーマンから事業家を峻別するものである。
この続きは、次回に。