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ドラッカーとの対話  未来を読みきる力 41

17章 老後問題を考える

 

□ 老人に配慮するアメリカ

 

アメリカという国は日本よりずっと老人への認識度の高い国だということである。

ニューヨークの百貨店メーシーのユーニック元社長は、その演説の中で、以前からの主張である

「60代でもスマートに」市場を、この世界最大の百貨店の、将来計画の重要な柱のひとつに

するつもりであると語っていた。

次第に寿命も延び、所得もおいおい向上してきているのに、ファッションでも日常品でも、

まだまだ若向きのものばかりであるのは、いったいどうしたことであろうかという反省からである。

強力な運転手労組(チームスター)のように、アメリカには、一般的敬称として〝先輩市民〟

(シニア・シティズン)と呼ばれる老人のためにすばらしい施設をどんどん建てる団体もある。

アメリカでは、1978年の強制定年法改正で、定年が65歳からさらに70歳にまで

引き上げられたが、少なくとも高卒の〝初任給〟程度は必ずもらえるようにという

公私各種年金制度の普及率も、いよいよ高まってきているのである。

 

□  人生は65歳から

 

日本のサラリーマンも、従来以上に定年後の設計なり第2のキャリア形成について、

長い時間の管理という立場から、個人として、ビジネスマンとして、市民としてもっと真剣に

取り組むべきではなかろうか。

 

□   中年以降の職歴転換

 

アメリカの労働力構造や転職について話をきく機会があったが、ギンゼバーグの

語ったことで私の興味をひいたことが1つあった。

それは、近ごろ新しく現れた傾向として、中年以後のキャリア転換が目立つように

なってきているという指摘である。

ビジネスマンが大学の先生になったり、役人がフィッシング・ボードの船長になったり、

団体職員が財界入りしたりするという。

もともとその後、ニューヨーク・タイムズの調査を見ると、「中年以後における職歴転換は、

むしろ増加し、一般化すると見られる」との分析がなされていたのである。

さらに最近の資料を見ると「35歳以後、新しいキャリアをスタートさせるには」なるレポートが

のっており、こうした記事の中には、いくつかの異種転職のケース・ストーリーが紹介されていた。

 

□  キャリア2回説の提唱

 

これまで、日本で転職というと、よその会社に移ることが主であった。

しかし、考えてみると、一方においては激しく展開する技術革新により、1つの専門に

しがみついていられる年限は経営学者F・ハーツバーグの研究によっても、学卒後7.8年となってきている。

さらにドラッカーがよく引用する最近の「科学技術知識の半減期(どのくらい経つと半分ぐらいしか

役に立たなくなるか)」の研究によると5、6年というデータが出ているのである。

ドラッカーの所説は、40歳以後こそ、教師、弁護士、牧師、コンサルタント—-

といった人生経験の豊かさを必要とする専門自由職につくべきであるとしている。

遅ればせとはいえ日本のビジネス関係者も、終身雇用や年功序列の廃止が進んできている今日、

こういう角度から物事を考えてみることが重要ではなかろうか。

人生・職歴という「長い時間」を考慮するに当たって、ドラッカーのひそみに習いつつ

この点を強く主張したいと思うのである。

 

□  学習社会の台頭

 

経済については、GNP(国民総生産)は、毎年3~4%ぐらい上昇するとか、生産中心型の

経済活動から、サービス中心型の経済活動に移行するとか、週労働時間は36時間以下になるとかの

国民経済的な傾向分析が行われている。

次いで、政府関係については、公共投資問題と、政府と大企業や教育機関との

相互依存性の増大などが解析されている。

また、社会的価値観についても文化・芸術における新ルネサンスの発生を予言し、

ヒューマニズムが指導原則になるとし、レジャーの増加と、職業に対するゆとりのある態度が

強まることを見通しているのである。

教育や芸術については、90年代以降をドラッカーと同じく〝学習社会〟の到来時代とし、

いまのように、一生涯にひとつの職歴ではなく、ダブルあるいはトリプル職歴追求時代に

なるだろうと述べている。

これにともない大卒者も現在の4倍近くにふえ、教育産業も今の3倍近くになるだろうとの

見解を打ち出していたのである。さらに、社会の主導力が産業から政府と教育機関の手に

移るというドラッカーの『断絶の時代』と同一の見方を示しており、しかも、経営管理者も

化学者もエンジニアも、定期的な再訓練を受けるリカレント教育システムが確立するとの

考え方を展開している。

 

□   大きく変わる中間管理職の仕事

 

ビジネスに関しては、まず環境対応戦略と長期計画の重視が出てくる。

したがって我々も、長い目と外部に対する目を養うことが要求されてくるであろう。

課長などの中間管理職はその仕事の中身が大きく変動し、その数が減少することを

ドラッカーも予言しているが、同じ趣旨のことを報じている。

個人、とくに経営管理者にとっては仕事を自己表現・自己発現・自己実現の場になるように

仕向ける傾向が、ますます濃厚になるだろうとの予測も出ている。

また、経営体はマネジャーとスペシャリストの組み合わせを中心に動くことが確立するとの

見方も出ており、人間を会社の資産として会計学的に評価し算定するシステムが、

ほぼ固まろうと見ているのである。

日本のビジネス関係者にとって、ドラッカーのかねてからの「第2の人生」に関しての主張は、

何も彼ひとりの独断ではないことを知ってほしいので、この一節を設けたのである。

その1つは、すでに1つの知識体系や技能で、生涯メシを食うことなど不可能なこと。

学習(ラーニング)と、脱学習(アンラーニング)と再学習(リラーニング)の反復を行わない限り、

知識や技能は有効に存続し得ぬことが明らかにされた点である。

その2は、企業の内部にのみ目を注ぐ時代は終わり、外部(市場、社会、国外)に目を転じ、

その変化を読み取り、そこから個人として、また企業としての発展機会をつかみ取ることが

重要になってくるという点である。

 

 

この続きは、次回に。

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