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危機の時代 ジム・ロジャース ⑤

第2章 過去の危機では何が起きたのか

 

・いかなる賢者も危機を止められない

 

経済危機は世界中で繰り返し起きている。

誰もが危機を食い止めようとするが、どんな賢者でもそれはできない。

 

世界恐慌は1929年の米ウォール街における株価暴落で幕を開けた。

1920年代の米国は非常に繁栄していた。経済バブルが起き、米国の輸入は

増え続けていた。

当時の状況は1980年代後半から1990年代初頭にバブル景気を謳歌した

日本にも重なる。

バブル崩壊後、日本政府は多額の債務を抱えた問題がある企業を破綻処理

することを恐れた。だからこそ日本は、経済の「失われた10年」だけでなく、

何十年もの時間を失ったのだ。

 

そんな長い時間がかかる必然性はなかった。

企業が倒産すれば、賢い人々がやって来て、不良資産を引き継ぎ、それを

再編成し、会社を健全な状態にして再建する。

しかし日本はそうしなかった。

むしろ資産を賢い人々に与えず、無能な人々に与えた。

その結果が日本経済の長期的な低迷につながり、失われた30年とまで言われる

不審にあえぐことになった。

 

1990年代の初頭には、日本だけでなく、ノルウェー、スウェーデン、

フィンランドなどのスカンジナビア諸国でもバブル経済が崩壊し、多くの銀行が

不良債権問題を抱えていた。

それでもスカンジナビア諸国は、破綻した銀行を国有化し、不良債権を

分離させるなどして再建に取り組み、なるべく早く再民営化させようとした。

破綻させることをタブー視しなかったことが、経済の短期間での復活に

つながった。日本が何十年も時を失ったのとは対照的だ。

 

歴史は、経営失敗の責任を取らせずに企業を支えることが最善の方法では

ないことを示している。

取るべき対応が遅れたのが、日本経済が長年停滞した理由の1つだった。

それは正しい方法ではない。

 

・1929年の世界恐慌の教訓

 

1929年に起きた世界恐慌を振り返ってみよう。

同年10月24日、米国では株価が大暴落した。

投資家はパニックに陥り、株式ブローカーの中には自殺者が何人も出た。

 

1920年代は、不動産価格も株価も上昇を続け、好況を背景に自動車などの

普及も進み、「永遠の繁栄」と呼ばれた時代だったが、突如、暗雲が立ち込めた。

 

景気低迷が長期化すると、矛先が向かうのは外国だ。

当時のフーヴァー大統領は、国内産業の保護を優先する政策を取った。

その流れの中で、議会が提案したのか「スムート・ホーリー関税法」と

呼ばれる法律だった。

 

海外から入ってくる農産物などに関税を課すことで、国内産業を保護しようと

いうものだ。農産物の価格が上がると、米国の農民は喜ぶが、消費者が

苦しむことになるのは当然だ。

 

「これはひどい政策だ」。

こう憤った約1000人の米国人エコノミストが新聞広告を出したほどだ。

米国にとって良いことではないと糾弾したが、米国は貿易戦争の口火を切った。

議会はこの法律を可決し、大統領は署名した。

 

そして貿易戦争が始まった。

米国に対抗して、英国もフランスも関税を引き上げた。

さらに各国が「ブロック経済」と呼ばれる、それぞれの海外植民地を中心とする

経済圏を構築。

それぞれの通貨を冠した「スターリングブロック(英ポンド圏)」「フラン

ブロック(仏フラン圏)」と呼ばれる経済圏が生まれた。

 

ブロック経済化が進むと貿易は減少し、経済が縮小するのは当然だ。

国際的な分業体制は崩壊し、世界経済に深刻な悪影響を及ぼした。

以前は世界で資本が循環していた。

 

第一次世界大戦に負けたドイツは英国に賠償金を支払うことになっていた。

英国はその賠償金で、戦争中に米国から借りたお金を返済する必要があった。

しかし経済が悪化する中、第一次世界大戦後に海外植民地を失い、英米仏の

ブロック経済からはじきだされたドイツは不況が深刻化し、賠償金の支払いが

難しくなった。

 

・瞬く間に世界中に広がった危機

 

株価暴落に貿易戦争が追い打ちをかけ、危機はあっという間に世界に広がった。

 

1931年になるとボリビアが債務不履行となり、ほかの南米の国々も相次いで、

破綻した。

そして同年5月には、オーストリアの大手銀行、クレジット・アンシュタルトが

実質的に破綻する。

 

同じ1931年5月にドイツの大手銀行も破綻し、同年8月までにドイツの全ての

銀行が閉鎖される。そして同年9月に英国の中央銀行であるイングランド銀行が

金本位制を停止。

自国産業を保護するために、関税を引き上げ、ブロック経済化を加速させた。

 

こうした流れの中で何が起きたのか。

 

米国の株式市場は、実に「90%」も下落した。

米国政府はもちろんありとあらゆる手を使って、株式相場を回復させようとした。

政府がたくさんお金を使い始めたことで株価はいったん上昇したが、

1937年には市場が再びクラッシュし、50%下落した。

おそらくさまざまな株価てこ入れ策が人工的なものだったからだ。

 

世界的に経済が混乱し、失業者があふれ返る中で台頭したが、民主主義を

掲げる政党だった。

ドイツではナチスが台頭。その後、第二次世界大戦の火ぶたが切られた。

 

 

 

この続きは、次回に。

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