お問い合せ

完訳 7つの習慣-人格の回復-9

見方=あり方

 

パラダイムと人格を切り離すことはできない。

人間においては、あり方は見方に直結するのであり、どう見るかとどうあるかは強い相関関係で結ばれているからだ。

あり方を変えずに見方を変えることはできない。その逆もまたしかりだ。

パラダイムの力が強いのは、世界を見るレンズをつくるからである。

パラダイムシフトは、瞬時に起こる場合でも、ゆっくりと意図的なプロセスで進んでいく場合でも、必ず劇的な変化を生み出す力になる。

 

原則中心のパラダイム

 

人格主義の土台となる考え方は、人間の有意義なあり方を支配する原則が存在するということである。

自然界に存在する引力の法則などと同じように、人間社会にもまた、時間を超えて普遍であり異論を挟む余地のない、普遍的にして絶対的な法則があるのだ。

誰でも、経験や条件づけから形成されたパラダイムや頭の中の地図を通して自分の生活や人間関係を見ているものである。

この頭の中の地図は、現実の場所ではない。

あくまで「主観的な現実」であって、現実の場所を表現しようとしているにすぎない。

「客観的な現実」、つまり現実の場所は、灯台の原則でなりたっている。

それは人間の成長と幸福を左右する原則であり、人類の歴史がたどってきたあらゆる文明社会に織り込まれ、長く反映した組織や家族の根っことなっている自然の法則である。

私たちの頭の中の地図がどれほど正確であっても、原則を変えることはできない。

このような原則、あるいは自然の法則は、社会の歴史のサイクルを深く調べ、思索している人からすれば、今さら言うまでもない明白なものである。

これらの原則の正しさは、歴史の中で幾度となく証明されている。

ある社会の人々が原則をどこまで理解し、どこまで従うかによって、その社会が存続と安定へ向かうのか、逆に分裂と滅亡に至るのかが決まるのである。

平等と正義という概念の土台となっているのは公正の原則である。

たとえ公正とはまるで正反対の経験をしても、人が公正さの感覚を生まれながらに持っていることは小さな子の行動を見ればわかる。

公正の定義や、公正さを実現するプロセスに大きな違いがあっても、時代や地域に関わらず、公正という概念そのものは誰もが理解できる。

誠実と正直も協力関係や長続きする人間関係、個人の成長に不可欠な信頼の土台となる原則だ。人間の尊厳も原則である。

奉仕や貢献、あるいは本質、美徳という原則もある。

可能性という原則は、私たちはつねに成長するができ、潜在する能力を発見し、発揮し、さらに多くの才能を開発できるという原則である。

成長は可能性に関連する原則である。

成長とは、潜在能力を発揮し、才能を開発するプロセスであり、これには忍耐や教育、励ましといった原則が必要になる。

原則は手法ではない。手法とは具体的な活動、行動である。

手法は個々の状況に応じて使い分けるものだが、原則は、あらゆる状況に普遍的に応用できる深い基本の真理である。

個人にも、夫婦や家族にも、あらゆる民間・公的組織にも当てはめることができる。

たとえば企業がこれらの真理を組織内に習慣として根づかせれば、社員は状況に応じて対処する多種多様な手法を自分で考え出すことができる。

原則は価値観とも異なる。原則は人間の行動を導く指針であり、永続的な価値を持っていることは歴史が証明している。

原則に反する価値観に従って充実した人生を送ろうとすることの愚かしさを考えれば、原則が自明の理であることはすぐにわかる。

原則の定義、実行の法則については議論があるにしても、人は生まれながらにして原則の存在を知り、意識しているのである。

私たちの頭の中の地図またはパラダイムをこれらの原則、自然の法則に近づけるほど、地図は正確になり、機能的に使えるようになる。

正しい地図は、個人の効果性、人間関係の効果性に計り知れない影響を与える。

態度や行動を変える努力をいくらしても追いつかないほど、大きな変化を遂げられるのである。

 

この続きは、次回に。

 

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