お問い合せ

完訳 7つの習慣-人格の回復-46

シナジーとコミュニケーション

 

シナジーは心を湧き立たせる。創造することは心を湧き立たせる。

心を開いたコミュニケーションが生み出すものには、驚くべきものがある。

シナジーは、大きな成果、意味のある進歩につながる。

それは否定しようのないことである。

だから、リスクを負ってでもシナジーを起こす努力はする価値がある。

シナジーとは、1プラス1が8にも、16にも、あるいは1,600にもなることである。

強い信頼関係から生まれるシナジーによって、最初に示されていた案をはるかに

上回る結果に到達できる。

しかも全員がそう実感でき、その創造的なプロセスを本心から楽しめる。

そこには小さいながらも完結した一つの文化が花開く。

その場限りで終わってしまうかもしれないが、P/PCのバランスがとれた

完璧な文化なのである。

シナジーに到達できず、かといってNo Deal(取引しない)を選択することもできない。

そんな状況になることもあるだろう。

しかしそのような状況でも、真剣にシナジーを目指していれば、妥協するにしても、

より高い妥協点が見つかるものである。

 

3の案を探す

 

効果的な相互依存の習慣を身につけ、実践すれば、新しいパラダイムを土台にして

お互いの違いを認め、より高いレベルのコミュニケーションがとれるようになるのだ。

高い信頼口座の残高、Win-Winを考える姿勢、まず相手を理解しようとする努力、

これらの要素があいまって、シナジーを創り出す理想的な環境ができあがる。

仏教ではこれを中道と言い表している。この言葉の本質は妥協ではない。

たとえるなら三角形の頂点であり、より高い次元の選択を意味する。

二人はお互いの望みを一つに合わせることにする。

向かい合って対立するのではなく、同じ側に立って問題を眺めてみる。

お互いの希望を理解して、両方の希望をかなえられる第3の案を見出す努力をする。

こうして二人はシナジーを創り出す。

話し合いを続けて、お互いが納得できる解決策を見つけ出す。

それは最初に出していたそれぞれの案よりも良い解決策になるはずだ。

妥協ではなく、二人とも満足する解決策になる。

シナジーから生まれる解決策は、PとPCの両方を高めることができるのだ。

お互いの希望を出して取引し、ほどほどのところで妥協するのではない。

シナジーは二人の関係をも変える力を持っているのである。

シナジーのプロセスは、二人が望むものを与え、そして二人の絆を強めるのである。

 

ネガティブなシナジー

 

内面が安定していない人は、どんな現実でも自分のパラダイムに当てはめられると思っている。

自分の考え方の枠に他者を押しこめ、自分のクローンに改造しようとする。

自分とは違うものの見方、考え方を知ることこそ人間関係がもたらす利点であるのに、

その事実に気づかないのである。

同一と一致は違うのである。

本当の意味での一致というのは、補い合って一つにまとめることであって、同一になることではない。

同一になることはクリエイティブではないし、つまらないものである。

自分と他者の違いに価値を置くことがシナジーの本質である。

人間関係からシナジーを創り出すには、まず自分の中でシナジーを

創り出さなければならないということだ。

そして自分の内面でシナジーを起こすには、第1、第2、第3の習慣が

身についていなければならない。

これらの習慣の原則を理解し実践できている人なら、心を開き、自分の脆い

部分をさらけ出すリスクを負っても、内面がぐらつくことはないし、Win-Winを

考える豊かなマインドを育て、第5の習慣の本質を体現できるのである。

原則中心の生き方によって得られる非常に現実的な成果の一つは、過不足なく

統合された個人になれることである。

論理と言語をつかさどる左脳だけに深く脚本づけられた人は、高度な創造力が

なければ解決できない問題にぶつかったとき、自分の思考スタイルの物足りなさを

痛感することだろう。そして、右脳の中で新しい脚本を書き始めるのである。

そもそも、右脳がなかったわけではない。

ただ眠っていただけなのだ。右脳の筋肉がまだできていなかったのかもしれないし、

あるいは子どもの頃には右脳の筋肉をよく使って鍛えていたのに、左脳を重視する

学校教育や社会のせいで、すっかり萎縮していたのかもしれない。

直感的、創造的、視覚的な右脳、論理的、言語的な左脳、

この両方を使いこなせば、脳全体をフルに働かせることができる。

つまり、自分の頭の中で心理的なシナジーを創り出せるのだ。

そして左脳と右脳の両方を使うことが、現実の人生にもっとも適したやり方なのである。

人生は論理だけで成り立つものではない。半分は感情によって成り立っているのだ。

 

 

この続きは、次回に。

トップへ戻る