ドラッカーとの対話 未来を読みきる力 34
● ドラッカー名言録その10 「企業がより大きくなる必要はないが、不断に、より良くならねばならない」
「大きくなることは決して悪くない。しかし、その大きくなり方が問題なのだ。
悪性腫瘍のようにメッタヤタラに大きくなるのではダメなのだ」と語ってくれたことである。
また最近の、底の浅いベンチャー・ブームに対しても、企業家精神が旺盛なのは
よいのだが、自分の「ワーク・オブ・ビジネス」がどういうビジョンにより、どういう
社会的貢献をしようとするのかを十分考えずに事業を立ち上がるのには反対である、
といった趣旨の発言をしていたのも思い出す。
この「ワーク・オブ・ビジネス」という言葉は、かつてよく使われていたが、
今は単に「ビジネス」とだけ称することが多い。
その意味は「事業の本質」ということである。
したがってドラッカーにとっては事業の本質とその質が重要なのであって、
サイズではないことがわかる。
「努力は賞賛の対象にはなるが、事業活動は、規模の如何と関係なく、
そこから生まれる成果、すなわち事業に対して寄せられる社会の拍手喝采の
度合いが問題なのである」とも発言している。
そして、企業はいつでも一種の冒険なのであって、それは、きわめて不確実な
成果をあげるために現在の資源を投入することである。
こうした〝賭け〟は、闇の中への飛躍とでも言うべきもので、勇気と信念を
必要とする行為なのである。
事業に関する正しい決断とは、人を過去に拘束するものではなく、未来の形成に
一歩踏みこませるものなのだ、というのが、ドラッカーの事業の本質観である。
● ドラッカー名言録その11 「教師が学習を阻害することがある」
「学習は、学習する者が学ぶことによってのみなされる。
学習は教師によってなされうるものではない。
教師はせいぜい学習の助けとなるだけで、むしろ学習の邪魔になることすらある」(『断絶の時代』より)
自分の仕事のほかに何も知らない人は、会社という立場から見ても、
決して成績のよい人間とはいえないと言っている。
すなわち、自分の仕事以外には、生活に何の関心も持たないような人間は
成長できないとしているのである。
ドラッカーの言葉の端々から、次の3つが学習の要諦であることがわかる。
1 まず学習者当人の自覚と努力がなければ成り立たない。
2 いわゆる勉強もいいが、所定の課題達成とリンクしたものでなければ、
職能的成長や自己開発もむずかしいこと。
3 しかも、いつものドラッカーの主張である〝表の風〟に吹かれ、
狭いおのれの殻に閉じこもっていないこと。
人間とは行動すると同時に認識し、また習慣的に事を処理すると同時に
内省するといったような両面を持っているものであり、この両者があわさってこそ
真の知識が形成されるという。
ドラッカーはこうした考えから、現実から学ぶ「アクション・ラーニングの基本を
早くから説いていた。
さらにドラッカーは、学校教育についてもかねてから厳しい批判をしているが、
落第に関して次のような面白い見解を示している。
「落第は、いわば教育における品質管理の問題である。
現在この品質管理テストに合格する学校や教師はほとんどいない」
そして、言葉を続けて、「落第しないで学校で勉強を続けている者の大半は、
自ら望んで学校へ通っているのではなくて、親が、社会が、そう仕向けているから
学校に通っているにすぎない」
落第は社会の犯した失敗であり、教育者の失敗である。
学校をもっと意味あるものに、興味あるものに、もっといろいろな意味で
得るものの大きいものにせよ、ドラッカーは説いている。
この続きは、次回に。