ドラッカーとの対話 未来を読みきる力 35
● ドラッカー名言録その12 「人間は単能マシーンではない」
ドラッカーは、「たとえ人間を純粋な機械であると見なした場合でも、人間は単能の
道具ではない」と反駁している。
人間の生産能力は、あるひとつの作業だけに最大の能力を発揮するのではなく、ほとんど無限とも
いえる作業を組み合わせ、統合化することにそのすばらしさがあると主張したのである。
人間の能力開発は、他の資源と違って、最終的には外からは、どうすることもできないものである。
人間のディベロップメント(発達)は、結局のところ成長に基づくものであり、それも
人間の内からの成長である。だから、仕事も、仕事のさせ方も、こうしたら内からの成長を刺激し、
誘発し、促進し、支援するものでなければいけない。ということは、最近流行りはじめた
「コーチング(直接指導)」や「メンタリング(後見役活動)」の重要性を、すでに45年も前から
指摘していたことになる。
ドラッカーによれば、この成長というものは、いついかなる場合においても、本人の努力の結果である。
したがって自ら努力しない人の進歩や発達について、組織や企業が責任を感じる必要など、
まったくないのである。また、人間の多能性、可塑性を信じるドラッカーは、自分の仕事のほかに
何も知らないような人間は、会社や組織への貢献という観点から見ても、決して成績の良い人間とは
いえないと断じる。なぜなら、自分の仕事以外になんの関心も持たないような場合は、
肝心の成長ができないからである。
しかもドラッカーは、成長には時間がかかる上に、人間は本来時間を浪費するものなので、
なおさら大変であると言う。
● ドラッカー名言録その13 「革新とは、単なる新しい方法ではなくて、新しい世界観を意味する」
ドラッカーの経営論の土台を支える2本の太い柱は、革新(イノベーション)と市場の創造である。
しかし、この革新という言葉は、四半世紀前にドラッカーが強調して以降、まことにもって
乱用されたキーワードだといえる。
その1つの現れは、技術革新と同義に用いられ、単にテクノロジーが新しくなることと
いうように狭く解釈されすぎたことである。
その2は、ちょっとした改革や改善といったものまで含めて、逆に広く解釈されすぎたこと。
その 3は、テクノロジーに関して、ハード面だけではなくシステムやソフト面まで含めることによって、
かえってドラッカーの意図したイノベーションの本義が薄められてしまったことである。
ドラッカーは、イノベーションを安易に考えることを戒め、革新は希望と安寧に満ちた
世界観ではなくて、危険(リスク)を伴う世界観であると断言している。
そして、革新は人間に対する見方を抜本的に変えてしまうものであり、危険を冒しながらも
新しい秩序を作ってゆくものだとする。したがって革新は、人間の持てる能力を誇示する
ことではなくて、人間が将来の危険に責任を持つことを意味する、という
含蓄のある発言をしている。
革新とは危険を冒し、ときには自ら危険を生み出しさえしながら、自分の頭の中と周囲の世界に
新しい秩序を打ち立てようとする人間の試みである—-ドラッカーはこのような言い方によって、
イノベーションの持つ真の意味を躍起になって説こうとしている。
平たく言うと、核心は一種の冒険であり、しかも、きわめて不確実な成果を得るために
現在の資源を投入することなので、それを企業が遂行するのは〝賭け〟であるとする。
あらゆる事業の目論見は、闇の中への飛躍であり、それは勇気と信念を必要とする行動である、
とドラッカーはしきりに力説する。
事業に関する決断とは、人を過去に拘束するものでなくて、未来の形成に一歩踏み込ませるもので
あるという言葉は、かつて私もじかにこの耳で箱根のセミナーで聞いたが、まことに
印象に残る一節であった。しかし、ドラッカーは、さりとて闇雲に未知に向かって
跳躍するのではなく、未知のものへの体系的、組織的な飛躍でなければならないと言う。
イノベーションという言葉はそうしたニュアンスを内包しているのだ、と。
だから革新の真の狙いは、我々がより大きな力をもって行動できるように、新しい判断力と
洞察力を体得することにあるとする。
この続きは、次回に。