池上 彰のやさしい経済学2 ニュースがわかる ⑬
円高と産業空洞化—日本に残るか海外に出るか
—-今回の講義では、円高のメカニズムを学びます。
戦後、1ドル=360円が長く続いた後、1973年に変動為替相場制度へ移行してからは、円高の時代が
始まりました。
日本企業の海外流出が問題となっていますが、円高が日本経済に与える影響とは、一体どのような
ものでしょうか?
私が学生の頃は円高、円安なんてありませんでした。
▶︎ マーシャルプラン
ブレトンウッズ体制(1945〜1971.8)
固定相場制:1ドル=360円
↓
▶︎ ニクソンショック
▶︎ ベトナム戦争
スミソニアン協定(1971.12〜1973)
固定相場制:1ドル=308円
↓
変動相場制に移行(1973.2〜)
↓
プラザ合意(ドル高是正)(1985.9)
↓
▶︎ リーマン・ショック
現在
▶︎ 欧州経済危機
変動相場制:1ドル=90〜100円台
かつては1ドル=360円と決まっていた
次は円高についての講義です。
1ドルが円にしていくらということが必ず決まっていたんでする。
これを「固定相場制」と言いました。
それに対して現在のように、いつもひっきりなしに相場が動く、これを「変動相場制」と言いました。
円高について理解することで皆さんに気づいて欲しいこと、それは、やはり経済が全て需要と供給に
よって動くのだということです。
また人の心理や思惑によって世の中は動いていくんだなということを知ってほしいのです。
固定相場制/変動相場制:通貨ごとの為替レートが決まっているものを固定相場制、原則として需要と
供給により為替レートが変動相場制と言う。
外国為替市場の役割
円やドルなどの売買取引をしている市場は「外国為替市場」と呼ばれています。
日本がものを輸出する場合、買い手である相手国は自分の国のお金で払おうとします。
でも相手国の通貨でもらっても、日本ではそのまま使うことができません。
それでは困るわけです。
その相手の国のお金をいくらで円と交換するのかということが決まっていないと貿易は成り立ちません。
これが決まるところが外国為替市場です。
外国為替市場:外国為替が取引されている場すべてのことを言うが、通常は銀行間で外貨を交換する
「銀行間取引」を指す。
イギリスのポンドが世界のお金だった
ポンドはイギリスの通貨ですが、イギリス以外の他の国同士の取引のときにもポンドでの決済が
普通に行われていました。どうしてイギリスのポンドが使われていたのでしょうか。
当時、世界の海を制覇していたのはイギリスだったからです。
※ 省略致しますので、購読にてお願い致します。
第二次世界大戦中、アメリカが力をつけていった
第二次世界大戦中、アメリカは戦場になりませんでした。
ヨーロッパの国々の多くが戦場になり焼け野原になってしまったので、ヨーロッパではものを
つくれません。そのためアメリカに生活必需品の注文が殺到しました。
そうなれば世界中からアメリカに富が入ってきます。
支払いがお金で間に合わない場合は金(キン)で払われ、アメリカにたくさんの金が集まるように
なりました。
戦時中に連合国45カ国で会議が開かれた
でも戦争が終わり世界が平和になったら再び貿易を始めます。
その時にどのようにお金の支払いをするか、世界のお金をどうするかを話し合う会議が開かれました。
1944年7月、アメリカ・ニューハンプシャー州のブレトンウッズという小さな町にあるリゾートホテルに、
世界45カ国の金融担当の関係者が集まり会議を開きました。
この会議では色々なことを決めました。
世界のお金をアメリカのドルにすることもこのとき決まりました。
戦後の国際通貨体制のことをこの地名にちなんで「ブレトンウッズ体制」と言います。
ブレトンウッズ体制:IMF、世界銀行、旧GATTを中心とした国際経済体制。
1ドル=360円の固定相場体制が続いた。
ブレトンウッズ体制
- 記事9通貨をアメリカに変更
- 金1オンス=35ドルに固定
- IMF(国際通貨基金)創設
- 世界銀行(当時の国際復興開発銀行)創設
この続きは、次回に。