ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学 ④
第2章 「経営学は役に立たない」についての二つの誤解
2013年秋に米国から日本へ帰国して以来、私が日本のビジネスパーソンや経営者の方々と
交流する機会は飛躍的に増えました。
そこでよく聞かれる質問の一つが、「経営学って本当に役に立つんですか?」というものでした。
私自身、当初はこの質問になかなかうまく答えられずにいました。
しかし多くのビジネスパーソンとの交流を通じて、この疑問について、少しずつ私なりの答えが
見えてきたように思います。それは、「みなさんが抱いている経営学のイメージとその実像の間に
ギャップがあり、それが経営学を使いづらくしているのではないか」ということなのです。
本稿では、みなさんが経営学に抱いている二つの誤解を解きほぐしながら、「経営学は役に立つのか」に
ついての私の私論をお話しします。
これは本書を読み通す上でも、重要な視点となります。
✔️ 誤解1:経営学者は「役に立つこと」に興味がある
まず、最も根本的な誤解から述べさせてください。
それは「経営学は『役に立つ』ことを目的にした学問である」と思われがちなことです。
実は、経営学の多くはそう考えていません。
みなさん驚かれるかもしれませんが、これは米国で10年間経営学を学び、研究してきた私が
見た事実です。「役に立つかどうか」は、少なくとも欧米を中心とした海外の経営学者にとっては、
最重要な関心事ではありません。なぜでしょうか。
その理由は、第一に前章で述べたように「ハーバード・ビジネス・レビュー」のような実務家を
対象とした雑誌への掲載が学術業績にならない、という制度的な背景もあります。
しかし、さらにその根底にあるのは、学者にとって経営学を探究する推進力となっているのが
「役に立つかどうか」よりも、彼らの「知的好奇心」だからに他なりません。
世界のビジネススクールで教えている教授たちの大半は、経営学者、すなわち研究者です。
そして彼らは「経営の真理を知りたい」「組織行動の本質を知りたい」という知的好奇心を
ドライビングフォース(推進力)にして研究を進めています。
この分野で「優れた研究」と評価されるには、二つの軸があります。
第一は厳密性(Rigorous)です。
前章で述べたように、国際標準化されつつある経営学では、社会科学としての科学性が重視されて
います。したがって、厳密な理論展開と実証分析が求められます。
「優れた研究」の第二の評価軸は、論議を呼ぶかも知れません。
それは「知的に新しい(Novel)」ことです。
いいか悪いかは別として、研究が「Novel」であることは、この分析で業績を残すためには決定的に
重要です。
先ほども述べましたように、経営学は知的好奇心をドライビングフォースにしていましたから、
その知的好奇心をくすぐるような「今までになかった視点」を持つ研究が高く評価されるのです。
したがって、より斬新な理論を提示したり、これまで誰も注目しなかったビジネスの側面を
分析したりした研究ほど「新しい」「面白い」とされ、上位への論文掲載を目指す学者ほど、
「自分の論文がいかにNovelか」も強調しがちになります。
✔️ 厳密である、知的に新しい、役に立つ、のトリレンマ
さて厄介なのは、この「厳密である(Rigorous)」「知的に新しい(Novel)」に加えて、「実務に役に
立つ(Practically useful)」も同時に追求できればいいのですが、それは極めて難しいことです。
この三者はいわばトリレンマの関係にある、と私は考えています。
図表2-1 「厳密である」「知的に新しい」「役に立つ」のトリレンマ
※ 省略致しますので、購読にてお願い致します。
ホームページより抜粋—
トリレンマ trilemma
三重苦という意味であるが,第1次,第2次石油危機後の世界経済の状況をさすときに使われた。
すなわち石油価格の急騰によって,石油消費国側はインフレ,国際収支赤字,景気後退という3つの
経済的困難に直面したことをいう。
ではどうすれば、このトリレンマを解消できるのでしょうか。
そのための第一歩について私は、図表2-1の三角形の点線になっている一変、すなわち「Rigorousと
Practically usefulを同時に追求する」部分を充実させることだと考えています。
繰り返しですが、三つの目的を同時に達成するのはそもそも難しいのです。
したがって、一つの研究・書籍だけで三つの実現を目指すのではなく、今後は「役に立ちそうな
経営法則を地道に、厳密に実証する」ことを積み重ねるべきではないでしょうか。
そうすれば三角形が完成し、経営学がビジネスパーソンに最も身近になるはずです。
すでに、世界の経営学ではその兆しが見え始めています。
この続きは、次回に。