人を動かす経営 松下幸之助 ⑨
・ 利害にとらわれない態度—久保田権四郎さんの話
われわれ人間は、ともすれば利害というものにとらわれやすい。
自分の利害を中心にして、物事を考え、行動を進めていく、という姿に陥る事が少なくない。
これは一面、人間として当たり前というか、いわば当然の姿かもしれない。
だから、これはこれで、一面仕方がないとも考えられる。
しかし、それだけに、自分の利害にとらわれない、それを超越したような姿なり態度に対して、
われわれは心を打たれる。心を動かされる。これもまた、人間としての一つの姿ではなかろうか。
私には、そういった点に関連して次のような経験がある。
昭和二十七年、松下電器は中川電機が製造する冷蔵庫を販売することになった。
そのときに、こんないきさつがあった。
※ 省略致しますので、購読にてお願い致します。
「実は私の方もボツボツ冷蔵庫をつくろうと思って、そういう手配を進めつつあるのです。
だから、話によっては引き受けて販売することにしてもいいですよ」
すると、久保田さんは、次のように言われた。
「私が中川に言ったのは、『君がそういう決心をしているのであれば松下さんに話をするが、
そのかわりいっさい松下さんの言うとおりにするかどうか。
また工場を共同経営するということについて話がでるかもわからないが、そういう場合でもその
工場を提供するという決意があるかどうか。
また工場を提供するについても土地の価格がどれだけだとか、今までの収支はどれだけだとか、
そういうことを言うようであれば私は松下さんのところへ行かない。
実際に無条件でまかせると君が決心するならば話しにいこう』こう言ったのです。
すると中川も『よくわかりました。そう決心しております。
頼む以上はいっさいまな板の鯉で、どこからでも料理される決心ができています』というので、
本人を連れてきょうあなたに頼みにきたのです。
松下さん、あなたがそう考えておられるのであれば、ひとつ起用していただきたい」。
こういうのである。
私はそれを聞いた時に、この人たちはえらい人だなあと思った。
ふつうであれば、“松下さんのところへ行って交渉してやろう。松下さんが賛成したならば、
できるだけこちらの有利になるよう交渉する方がいい”と考えがちである。
それがいわば当たり前の姿である。
ところが、そういうことではなく、「もういっさいをまかせた方がいい」というようなことを
考えられた。
自分の利害を超越した態度である。私は感激した。その態度に心うたれたのである。
そこで私は言った。
「わかりました。私の方の計画を中止して、あなたの工場を活かすことにしましょう」。
こう言ったのである。これは、ちょっとふつうの姿ではない。というのは、この話は言って
みれば、とつぜん舞い込んできた話である。
その話の内容を裏付けするような資料は何も見ていない。
ただそれだけの話しあいをしただけである。それだけで、その場で決めてしまった。
わずか一時間もかかっていない。超スピードである。なぜそんなに早く決めたのか。
工場を実際に見に行ったこともなければ、またその他判断する材料は何も見ていない。
にもかかわらず、即決してしまった。
これは結局、その二人の素直な考え方に感動したからである。
たとえどんなに立派な工場が儲かっていても、やはり経営者となる人が利害にとらわれて
ものを見るという考えを持っていたならば、なかなかうまくいくものではない。
その点、そういう考え、決心を持って話しに来られた二人をみれば、全く安心である。
“これならなんにも心配ない。仕事そのものは困難であっても、そういう決心があれば、私は
引き受けるだけでそれでいい”と考えた。
それで、引き受けたのである。その二人の利害にとらわれない素直な考え方に感動した。
そして今日、その工場は松下冷機として、立派に成功しているのである。
この続きは、次回に。