人を動かす経営 松下幸之助 ㉓
・ 経営をしているか—それができるのが人間
経営とは何か、経営とはどういうものであるのか、ということについては、いろいろな見方、考え方が
あろう。私も私なりに、ずいぶん以前から、折に触れてそういうことについて考えてきた。
そして、自分なりに、こういう点が経営というものの大切なポイントになるのだなとか、経営のコツは
こういうところにあるのだなとか、これが経営というものなのだ、といったことをいろいろと発見し
たり、思いついたり、またそれらを人にも話してきたのである。
たとえば、昭和八年十二月のある日、私は会社で仕事をしているときに、ふと思いついたことがあった。
会社の仕事、経営をよりよく進めていくために、これは大切なことである。ぜひ、従業員たちへも
伝えなければならない。そう考えたので、早速、その日の終業のときに話した。
「みなさんは、一日の勤務を終えて、相当疲れておられるだろうが、思いついたことがあるので、
ちょっとお話し申し上げたい。近ごろは、店の拡張された関係もあってか、全体の人がただ仕事を
するということにとらわれて、もっと能率的にする方法はないかということには考えを及ぼさず、
ただ事務的に流れるようになってきた傾向がある。
こういうことではいけない。これでは決して進歩はのぞめない。
われわれは、われわれの仕事を、どれも一つの経営と考えなければならない。どのような小さな仕事も、
それが一つの経営であると考えるときには、そこにいろいろな改良工夫をめぐらすべき点が発見され、
したがってその仕事の上に新しい発見が生まれるものである。
世間すべての人々が同じように努力しながら、成功する人はまれであるのは、今言った経営の観念に
欠け、何らの検討工夫をなさず、ただ仕事に精を出しているにすぎないからである。
本所(松下電器製作所)もそのような人々の集団であるときは、その将来もあやぶまれる。
一人で世間へ放り出しても立派に独立独歩することができ、何をしても一人前にやって入れる人びとの
集まりとなってこそ、所期の目的が達せられるわけであり、かつ、そのような経営者としての修養を
積むことによって、みなさん各自の将来もどのように力強いものとなるかを考えなければならない」
私はこの時に、経営意識を持つというか、どういう仕事をするにしても、ただ決められたとおり、
命じられたとおり、熱心に取り組んでいくというだけでなく、自分なりによりよき姿を求めて、工夫を
こらしてそこに変化、革新を生み出していくことの大切さを説いたのである。
そして、一人ひとりがそういう経営意識を持った自分の仕事の経営者にならなければならない、と
いうことである。よりよき経営を進めることができるかどうか、すべて人にかかっている。
経営のよろしきは人しだいである。
私は、この話をしてから一週間ほどして、社内のある二つの工場を見回った。
そして、これらの工場が以前とはちがって、著しく改善されているのを発見した。
この二つの工場は、少し前から会社の幹部である二人の部長が直接経営にあたるようになっていた。
そうして、その業績もそれぞれ目に見えて向上してきていたのである。私はつくづく思った。結局、
経営は人にあたるのだ。経営にあたる人の如何によって、すべてが変わってくるのだ。
こういうことを心から痛感したのである。
そこで、また私は従業員にそのことを話した。
そしてさらに続けて次のようなことも話したのであった。
「——しかし、本所には目下のところ十分に訓育された人が足りない。だからぜひとも、そのような
才能をもった人に、みなさん一人ひとりを育てていきたい。みなさんも、これを意識して、経営者たり
得る修養に入ってもらいたい。ただ忠実に仕事をするだけでは、よりよき発展を続けていくことは
できないのである」
この点は、私は非常に大切なことだと思っていたので、さらに翌昭和九年が明けて一月一日、その
元旦の日にもう一度念を押した。すなわち、新年の挨拶の中で、私は次のようなことを話したのである。
「—–みなさんは、各自が受け持った仕事を、忠実にやるというだけでは十分ではない。
必ずその仕事の上に、経営意識を働かせなければだめである。
いかなる仕事も一つの経営と考えるところに、適切な工夫もできれば新発見も生まれるものであり、
それが本所業務上効果大なるのみならず、もってみなさん自身の向上に大いに役立つのである。
そこで、みなさんに今年のお年玉として左の標語をあげよう。
〝経営のコツここなりと、気づいた価値は百万両〟
私は、こういった経営の大切さについては、その後もくり返し社内で説いた。
生きた人間であるからには、機械のように同じ仕事をくり返しをしていたのではいけない。
知恵を働かせ、創意工夫をこらして、日に新たによりよき姿を求め、生み出していかなければならない。
それができるのが人間であり、だからこそ、人間は共同生活を歩一歩と向上させ、お互いの幸せを
逐次高めていくこともできるわけである。
この続きは、次回に。