人を動かす経営 松下幸之助 ㉛
・ 指導者のあり方—人を育てる上で大切なこと
人を育てる、部下を適切に指導育成していく、そういうことのために大切なことの一つは、指導すべき
立場の人が指導者としての責任を正しく自覚認識している、ということである。
これは、一面きわめて当たり前のことであるが、しかし実際にはなかなか十分でない姿も少なくない
のではあるまいか。
たとえば、昨今の日本においては、青少年に対して親や教師などおとなたちが、正しく、言うべきを
言い、教えるべきを教え、指導すべきを指導しているかどうか。
もちろん中には、そういう姿もあろうが、反面、青少年を正しく育成することに対して、いわば初め
からサジを投げているような姿も少なくないように思われる。
どうせ言っても聞いてくれない、だから言ってもムダだ、ということで、指導すべき立場にあるにも
かかわらず、その立場からおりている。
これでは、やはり青少年の指導はむずかしいのではあるまいか。
けれども、指導されないとなると、こんどは青少年たち自身としても、なんだか物足らなくなる。
うるさく言われるのはかなわないけれども、しかし全く何も言われないというのでは、もっと困る。
やはり、いろいろな点について、先輩、大人たちに教えてもらいたい。
わからないことはたくさんあるのである。
ところが、先輩、おとなたちは、言ってもダメだというので、教えない。
注意もしない。叱りもしない。もちろん、青少年たちとしては、叱られるのはイヤである。
しかし、それはその場ではイヤであるけれども、その叱られた内容が適切であれば、あとからその
よさがわかってくる。だから、大いに叱ってほしいのである。自分のためになるのである。
しかし、先輩、おとなたちは、知らん顔をしている。青少年の自主性を尊重するのだということで、
ほとんど指導も躾もしてくれない。これでは物足りない。おとなに対して失望してしまう。
なぜ、おとなたちは青少年を叱らないのか。それは、一つにはおとなとしての物事に対する見識を
十分に養っていないこともあるかもしれない。
こうあるべし、こういうことが正しい、ということがハッキリわからない。
それで、青少年に対して、言うべきことがわからない。適切な指導もできない。
こういうことである。しかし、もっと大切なことは、やはり自分が青少年を指導すべき立場に立って
いることを正しく自覚し、その立場にふさわしい態度をとるように努めているかどうか、ということ
ではないか。
指導者としての自覚、そしてその責任感である。そういうものがない場合には、指導者は指導者で
なくなる。単なる傍観者である。
こういう指導者をもったグループ、また商店、会社があったとしたら、それは非常に不幸である。
社長が社長として、みんなの指導者としての責任を自覚して行動をとらないというのでは、当然経営は
うまくいかなくなってくる。
やはり社長は非常に強い責任感をもって、そして、「みなさん、こうやりましょう。こうしてください。
これが一番いいと思います。いかがでしょうか」というように、呼びかけを行わなければならない。
この呼びかけが大切なのである。この呼びかけが大切なのである。この呼びかけをすれば、社員も
何を考え、何をすればよいかがわかってくる。そこで、みんなの知恵も力も発揮されてくる。
そこから、生き生きとした全員の活動が生まれ、好ましい成果ももたらされてくる。
呼びかけがスタートになるのである。そのスタートがないと、これはどうにもならない。
みんなが適当に日々をすごしている、という状態が続いて、だんだんジリ貧になっても行くだろう。
これでは経営がないのと同じである。
社長がいないと同じである。こうした点について、経営者、指導者の立場にある人は、改めてみずか
らをふり返ってみることが大切ではなかろうか。
この続きは、次回に。