人を動かす経営 松下幸之助 ㊵
・ 日ごろの誠意があればこそ—止められそうになった取り引き
このごろの日本では、他から叱られたり、注意を受けたりすると、カッと頭にきて怒りちらす、と
いったような姿も少なくない。
だから、一面において、少々のことがあっても他を叱ったり、注意をするのはやめておこう、という
向きも出てきているようである。
けれども商売をしている上では、お得意先は容赦してくれない。
商品に不良が出たり、サービスに欠陥があったりすれば、直ちにクレームが出る。
お叱りが出てくる。そのお叱りに対して、少しでも腹を立てていたのでは、これは商売にならない。
だから、お得意先からのお叱りに対しては、ただひたすらに誠意をもって対処していくことが肝要で
ある。しかしながら、一口にお叱りといっても、その程度はいろいろある。
これから気をつけておけ、くらいのお叱りもあれば、すぐになんとかしろ、といったご注意、それから
頭ごなしに怒鳴られるというようなきついお叱りもある。
しかし、お叱りがお叱りであるうちはまだよい。お叱りを通り越して、「もういい、お宅とは取り引き
しない。もうやめる」といったようなことを言われると、これはたいていショックを受ける。
これはえらいことになった。こんな場合は、いったいどうしたらよいのか。
ずっと以前、私がまだ松下電器の社長をしていたころに、お得意先からそういう宣告を受けたことが
ある。といっても、私に直接ではなく、社員に対してである。
社員が外から帰ってきて、私に報告にきた。
青い顔をして、しょんぼりしている。
「—-これこれこういうわけで、もう今後は松下電器とは取り引きしないと言って怒っておられます」。
その社員としては、これはもう最後通告をつきつけられたようなものである。こんなことを言われれば、
だれだってがっかりする。心が重くなる。もうだめか、という気にもなる。
事はまことに重大である。しかし、私はその報告を聞いた時、これは大変だと思いかけたけれども、
すぐに〝待てよ〟と思い直した。〝なぜ相手は怒っているのだろう。怒られるような原因を、松下電器は
本当につくっているのだろうか〟ということを考えてみた。
そこで、その社員にくわしく事情を聞いてみた。すると、その怒りの原因は、いってみれば誤解である。
誤解とまでいかないにしても、松下電器の考えを十分に理解していただいていないからと思われる。
そうであるならば、これは危機的状況というほどでもない。お叱りはお叱りとして、つつしんで受け
とめなければならないが、問題解決のためになすべきことをなしていかなければならない。
それはどういうことかというと、松下電器の考えを十二分に説明し、理解してもらわなければならな
い、ということである。
そうすれば、お叱りを受けたことがむしろプラスになる。お得意先の理解が高まって、両者の関係も
より緊密になるであろう。
だから私は、これは見方によれば、まことによい機会を与えられたのだ、と考えた。
こうしたお叱りを受けたということは、先方と松下電器との間に大きな縁が結ばれる前兆でもある、
というように考えたのである。
そこで、この場合、どうするかということである。これはもうどうするかというよりも、こちらの
真意を素直に伝えていくしかない。
それも、今すぐに、である。目の前で、報告をすませて私の顔色をうかがっている社員に向かって、
私は言った。
「君、ご苦労だけれども、今すぐにもう一ぺん先方へ行ってくれたまえ。そして松下電器の考えを
改めてよく説明してみてくれ。私が考えていることは、先方にとって決して悪いことではないのだ。
もちろん、見方によれば一部に至らない点があってお叱りを受けるのはやむを得ないとしても、しかし
根底においては先方の利益なり立場を十分に考慮しているのだ。
それを、ただ一片のあやまちがあるからといって全体の方針を否定されるということは、松下電器と
しては耐えられない。
全体の方針なり状態をもう一度よく話して、それでもなおいけないのであれば、これはもう仕方が
ないから引き下がろう。だから君は、もう一ぺん行って話してみてくれ。
『帰って社長に話したところ、社長はこういうふうに言っていました』というように申し上げてくれ
たまえ」「わかりました。もう一度行ってきます」。
その社員はすぐに飛んで行った。そして一生懸命に話しをした。すると、「もう松下電器とは取り引き
しない」といっていた先方さんが、「君のところのオヤジはそんなことを言っているのか。
なるほど、そういうことか。よくわかった。そういうことであれば私も考え直してもいい。
今後とも大いに取り引きをしよう」というように言ってくれた。
社員はニコニコして帰ってくると私にそう報告した。
「そうか、よかったな。ご苦労さん」。
危うく止められそうになった取り引きが、引き続き行われるようになった。そればかりではない。
その後、そのお得意先は従来以上に力を入れてくれるようになり、いわば松下電器のファンとなっても
くれたのである。
これは、いってみれば、お客の怒りという商売上の一つの危機に直面して、あきらめることなく、
こちらの真意を訴えることによって打開したわけである。
しかし、その訴えは、その場限りのものではない。むしろ、松下電器としてつね日ごろから、お得意先の
利益を考え、ご需要家の立場を考えて仕事を進めていくという基本の線に立っていたがために、そう
いう危機に際しても、うろたえることなく、堂々と主張し、訴えていくこともできたわけである。
この続きは、次回に。