書籍「10年後の自分」を考える技術 ⑧
✔ 歴史を学ぶ意識
ここで私が言いたいことはひとつ。
よく聞く台詞かもしれないが、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
そのひと言だ。
私たちが一生のうちに経験できることは、限られている。
自分の過去からしか学ばないとすると、その「学び」も限定的なものになるだろう。
しかし、時代をさかのぼった事実や他人の経験からも学ぶと、「学び」の量は
飛躍的に伸びる。
それが「歴史に学ぶ」ということだ。
歴史が全く同じ形でくり返すことはないとしても、同じようなパターンは
過去にいくつもあったのでは? と疑問を持つことで、見方は変わって
くるはずだ。
中長期の時間概念を頭の片隅におき、年単位で過去に起きたことを考えてみる。
そして、パターンを理解する。
結果的に多少間違っていてもいいから、過去のさまざまなパターンを学ぶことが、
「目の前のちょっとした変化がこのあとどういう未来につながっていくのか?」と
考えてみてほしい。
✔ 「アンダーなバカ」になるか、「オーバーなピエロ」になるか
ここで「直線的」といっているのは、「これまでがそうだったので、これからも
そうに違いない」という短絡的思考法である。
こうした直線的思考の罠に落ちると、2種類の「読み違い」が起きる可能性がある。
1つ目は、拡大や縮小の兆しが出ているのは、それまでの経験則にもとづいて、
その行く末を過小評価する場合だ。
✔ 未来を「アンダー」に読みすぎるということだ。
2つ目は、兆しをただ単純に拡大解釈し、「今後、急激に革命的変化が起きる!」と
いう「オーバー」な読み違いをしてしまうことだ。
中長期的に見れば市場に浸透・拡大するものでも、短期的にそれが急拡大するか
しないかには、それなりの理由がある。
その理由を無視して、技術的優位性だけに目を向け、「世界はすぐに変わる!」と
言ってしまう「ピエロ」的な発言は、こうしたオーバーな読み違いの表れだろう。
逆説的には、こうしたアフォーダンスまでが提供されるようになると、一気に
変化が起きる可能性が高いと言える。
しかし、技術的な優位性だけに目を向け「オーバー」に革命論を論じる人たちが、
こうしたアフォーダンスまで考えて議論をしているようにはとても思えない。
✔ ガラス張りの共有スペースに人が集まらない理由
昨今、社員間のコラボレーション(協働)を奨励するために、オフィスの中央や
通路にオープンな共有スペースを設ける企業が多い。
ベンチャー企業に出向くと、ガラス張りで中が丸見えの打ち合わせスペースが
あったりする。しかし、そうしたオープンな空間は、皆から見える構造に
なっていることが多いため、プライバシーが守られない印象を社員に与えてしまい、
利用する社員がほとんどいないという「想定外」の結果に陥った企業も少なく
ないそうだ。
こうした事例について分析した研究者は、共有スペースが交流を促すかどうかは、
「そのスペースまでの近さ」や「プライバシーへの配慮」、「そうしたスペースを
利用することが許される組織の風土」次第だと結論づけている。
要は、そこまでわざわざいかなければならないほど遠いのなら使いたくないし、
他人が見ているところでは話もできないし、そもそも、会社のなかでそんな
自由時間もないよね—–というような場合には、誰も使わないということだ。
このように、「意外なこと」や「ちょっとしたこと」がモノゴトの行く末を
決めていることも多いのである。
だから、あるモノやコトの未来について考えるとき、ただ「直線的」に
考えるのではなく、「なぜ」「どんな理由で」「何がアクセルとなって」
「何がブレーキとなって」と、その理由や背景まで考えることが大切なのだ。
✔ 実家の写真館と、隣町のカメラ販売店
90年代後半から一気にカメラのデジタル化が進み、写真業は業種そのものが縮小。
父はフィルムカメラの衰退と同時期に引退することになる。
一方、「カメラのたかた」は、90年代に入って、店舗でのカメラ販売から業種を
拡大。ラジオショッピング、テレビショッピングと業態を変えて、家電・
AV機器の販売で1700億円もの年商を達成する大企業になった。
そう、あの「ジャパネットたかた」である。
実家の写真館の顛末を間近で見て、強く思ったのは、未来をしっかり洞察する
ことと、その洞察をもとに小さな一歩を踏み出すことの大切さだった。
なぜなら、たとえ最初は小さな一歩、小さな変化であっても、つながりによって
いずれ大きな変化になる可能性が高いからだ。
この続きは、次回に。