危機の時代 ジム・ロジャーズ ㉝
・経営以外に学ぶべきことがある
私は経営よりも、哲学や歴史、数学を学ぶべきだと考えている。
とりわけ歴史を学んでいたことは、私の人生にとって非常にプラスに
なっている。世界がどのように変化しているかを理解するのに役立つ
からだ。
私は15年間ですべてが変わることについてすでに述べた。
学校でそれを学んだとは思わないが、歴史については十分な理解を得る
ことができた。哲学も私に考えることを教えてくれた。
哲学はとても良い学問だ。それは考えることを学ぶのに役立つ。
そして、ほとんどの人は自分の頭で考えることができていない。
多くの人はテレビやインターネットを見て、物事がこうだと信じ込んでいる。
中国のアリババグループ創業者である馬雲(ジャック・マー)は有名だ。
彼はMBA取得者ではなく、中学、高校時代も優秀な成績ではなかった。
このためいったん大学進学をあきらめて、三輪タクシーのドライバーを
していたほどだ。その後、彼は一念発起して大学に通い、英語教師になった。
MBAがなくても彼はアリババを起業し、インターネット通販で中国の
小売業の世界を変えるイノベーションを起こした。
それは本当に目のくらむような成功だった。
・ノーベル経済学賞に価値はない
ノーベル経済学賞を取ることに何の意味があるのだろうか。
1966年にノーベル経済学賞が創設された。
しかし賞を取るのは欧米人ばかりで、ノーベル経済学賞を受賞したアジア人は
ほとんどいない。1969年以降、欧米よりもアジアの経済が目覚しく発展
してきたが、アジア人はノーベル経済学賞を受賞していない。
したがって、ノーベル経済学賞はばかげている。恥ずかしいとさえ言える。
中国の最高指導者だった鄧小平は同国の経済に奇跡を起こしたにもかかわらず、
ノーベル経済学賞を受賞できなかった。
彼は奇跡の労働者であり、中国経済を大きく発展させる基盤をつくった。
ノーベル経済学賞に値することだと思うが、そうならなかった。
なぜなのか。それまでにノーベル経済学賞を受賞した人たちが、次の
受賞者を選ぶからだ。
彼らは自分が知っている仲のいいグループにいる人を選ぼうとするものだ。
それは日本なら北海道という島の中でノーベル賞受賞者を選んだといって
いるようなものだ。ノーベル経済学賞の受賞者たちは、中国語を読めず、
日本語を読めず、ほとんどの外国語を読めない。
外国語を読めるとしても、英語かドイツ語くらいだろう。
アジアの人に受賞資格は事実上なく、インド人が1人いるだけだ。
欧米の有名大学出身のエリートが、仲間同士で相談して決める偏った賞。
それが私のノーベル経済学賞に対する見方だ。毎年受賞者が出て、彼らは
非常に幸せで、大学もハッピーだろう。ただ、注意して受賞者の経歴を
見てほしい。多くが同じような大学の出身者で、接点を持っている。
彼らは同じグループの仲間たちだ。
・鄧小平が受賞できなかった理由
鄧小平はプリンストンのような名門大学を卒業していないので、ノーベル
経済学賞を受賞できなかったのかもしれない。
鄧小平はただ中国を救い、世界経済を救い、世界を変えた。
彼は欧米の名門大学に進学せず、西洋人ではないので、ノーべル経済学賞
候補として関心を持たれなかった。だから私は、ノーベル経済学賞は
バカげた賞だと思っている。
英国の植民地だったシンガポールは1965年にようやく独立したばかりだった。
1969年に英国海軍はシンガポールを去り、海軍大将は貧しい同国の将来を
悲観した。しかし1976年に英国の経済は行き詰まり、IMFは同国を救済
しなければならなくなった。一方、シンガポールは短期間で経済が成長し、
世界で最も成功した国の1つになった。
ノーベル経済学賞の受賞者を何人も出している英国が衰退し、シンガポールの
価値が急騰したということだ。
1969年以降、何人もの英国人がノーベル経済学賞を受賞しているが、
シンガポール人と中国人は誰も受賞していない。
1969年の日本は高度成長を続けていたもの、世界経済のスーパーパワーでは
なかった。その後、日本で何が起きたのか。
経済は活況を呈し、素晴らしい力を持つようになった。それでも日本人は
誰も経済学でノーベル賞を受賞していない。
だからノーベル経済学賞の価値を私は信じない。
受賞たちの研究は、経済を発展させたり、成長させたりするためとは
思えないからだ。だから私は、もっと多くの国々の学者がノーベル経済学賞を
受賞すべきだと考える。
ノーベル経済学賞に起きていることはとてもクレイジーであり、日本の
経済学者が不平を言うのも当たり前だろう。文句を言って当然だ。
米国人と欧州人以外は一部の例外を除いて受賞できないのはおかしいという
記事をジャーナリストは書くべきだ。
この続きは、次回に。