お問い合せ

「D・カーネギー 人を動かす」⑨

2. 誤りを指摘しない

 

● 目つき、口ぶり、身ぶりなどでも、相手の間違いを指摘することが

 できるが、これは、あからさまに相手を罵倒するのと何ら変わりない。

 そもそも、相手の間違いを、何のために指摘するのだ—–相手の同意を

 得るために?  とんでもない!  相手は、自分の知能、判断、誇り、自尊心に

    平手打ちを食らわされているのだ。当然、打ち返してくる。

    考えを変えようなどと思うわけがない。どれだけプラトンやカントの

    論理を説いて聞かせても相手の意見は変わらない—-傷つけられたのは、

    論理ではなく、感情なのだから。

 

● 他人の考えを変えさせることは、最も恵まれた条件のもとでさえ、大変な

 仕事だ。何を好んで条件を悪化させるのだ。

 自ら手足をしばるようなものではないか。

 人を説得したければ、相手に気づかれないようにやることだ。

 誰にも感づかれないように、巧妙にやることだ。

 

 これについてアレクサンダー・ポープ(1688〜1744、イギリスの詩人)は、

 こう言っている。

 

 「教えないふりをして相手に教え、相手が知らないことは、忘れて

   いるのだと言ってやる」

 

 三百年以上も昔、ガリレオはこう言った。

 

 「人に物を教えることはできない。自ら気づく手助けができるだけだ」

 

  チェスターフィールド卿(1694〜1773、イギリスの政治家・外交官)が

  息子に与えた処世訓の中に、次のような一節がある—-

 

 「できれば、人より賢くなりなさい。しかし、人に知らせてはいけない」

 

 ソクラテスは弟子たちに、こう繰り返し教えた—

 

 「私の知っていることは一つだけだ—自分が何も知っていないということ」

 

● ジェイムス・ロビンソン教授の名著『精神の発達過程』の一節である。

 

 「我々は、あまりたいした抵抗を感じないで自分の考え方を変える場合が

  よくある。ところが、いろいろな信念を持つようになる。だが、腹を

     立てて、意地を張る。我々は実にいい加減な動機から、いろいろな信念を

     持つようになる。だが、その信念を誰かが変えさせようとすると、

     我々は、がむしゃらに反対する。この場合、我々が重視しているのは、

      明らかに、信念そのものではなく、危機に瀕した自尊心なのである—–

    〝私の〟という何でもない言葉が、実は、人の世の中では、一番大切な

       言葉である。この言葉を正しくとらえることが、思慮分別のはじまりだ。

    〝私の〟食事、〝私の〟犬、〝私の〟家、〝私の〟父、〝私の〟国、

    〝私の〟神様—–下に何がつこうとも、これらの〝私の〟という言葉には

       同じ強さの意味がこもっている。我々は、自分のものとなれば、時計で

       あろうと自動車であろうと、あるいはまた、天文、地理、歴史、医学

      その他の知識であろうと、とにかく、それがけなされれば、等しく腹を

       立てる—我々は、真実と思い慣れてきたものを、いつまでも信じて

       いたいのだ。

       その信念を揺るがすようなものが現れれば、憤慨する。そして、何とか

        口実を見つけ出してもとの信念にしがみつこうとする。

        結局、我々のいわゆる論議は、たいていの場合、自分の信念に固執する

        ための論拠を見出す努力に終始することになる」

 

● 他人を真に理解することが、どれほど難しく、どれほど大きな価値が

 あるかはかり知れないものがある。私たちは、他人からいろいろなことを

 聞かされるが、その時、どう反応するだろうか?

 相手の言ったことに対して理解ではなく、価値判断をまず与えるのが

 普通である。誰かが何かについて、感想、意見、または信念を述べると、

  それを聞いた私たちは、即座に、「そのとおり」とか「馬鹿らしい」とか

 「突拍子もない」とか「無茶だ」とか「間違いだ」とか「ひどすぎる」とか

  評価して決めつけてしまう。

  相手の真意が、どこにあるのか正確に理解しようと努めることはきわめて

  まれである。

 

● 我々は、自分の非を自分で認めることはよくある。また、それを他人から

 指摘された場合、相手の出方が優しくて巧妙だと、あっさりと非を認め、

 むしろ自分の素直さや腹の太さに誇りを感じることさえある。しかし、

 相手がそれを無理やりに押しつけてくると、そうはいかない。

 

● マーティン・キング(1926〜68、アメリカ黒人解放運動指導者)

 

 「人を判断する場合、私はその人自身の主義・主張によって判断する

  ことにしている—私自身の主義・主張によってではなく」

 

   ロバート・リー将軍(1807〜70、アメリカ南北戦争の際の南軍の総指揮者)

 

  「知っている。だが、大統領は、彼を私がどう思うかと尋ねられた。

    彼が私をどう思っているかとお尋ねになったのではない」

 

● 紀元前二千二百年の昔、エジプト王アクトイが彼の王子を、「人を納得

 させるには、外交的であれ」と諭している。

 つまり、相手が誰であろうと、口論をしてはいけない。相手の間違いを

 指摘して怒らすようなことはせず、いささか外交的手法を用いよという

 ことだ。

 

外向的(がいこうてき)

    外部能動的働きかけるさま。他人に対して積極的な性格

   対義語は「内向的」。

 

□ 手法(しゅほう)

 

    物事のやり方。特に、芸術作品などをつくるうえでの表現方法。

 技法。「写実的な手法」「新手法を用いる」

 

 

【人を説得する原則②】

 

 相手の意見に敬意を払い、

 誤りを指摘しない。

 

 

 

この続きは、次回に。

 

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