リテールマーケティング ㉝
⑤ 敬語の正しい使い方
敬語に苦手意識を持つ人は少なくない。
「敬語を正しく使わなければいけない」と考えすぎて、敬語過剰になって
しまい、かえって相手には耳障りとしか聞こえない場合もある。
そこで、スマートに敬語を使いこなす原則を以下にまとめてみる。
1. 原則その「話す相手」と「話す場」の敬語のレベルを理解する
人に対する敬語と場に合わせる敬語とを分けて考えれば、適切な話し方が
見えてくる。つまり、誰と、どんな場で話すのかに応じて使い分けを考える
必要があるということである。
① 「話す相手」
「誰に、誰のことを話すのか」を考える。
取引先の人や上司などは、敬語を使うべき「相手を立てる度:プラス1」の
人である。したがって、「おっしゃる」「いらっしゃる」などの敬語を
使う。
次に、後輩や友人、そして家族などはくだけた表現で良い「相手を立て
る度:マイナス1」の人である。
さらに、丁寧に話せば尊敬語や謙譲語までは必要ない職場の同僚や初対面の
人は、中間の「相手を立てる度:ゼロ(0)」の人となる。
② 「話す場」
「いつ、どこで、どんな状況で話すか」という“場”については、相手が
誰かは関係ない。つまり、改まった場なのか、くだけた場なのかによって、
話す言葉が変わることになる。
たとえば、式典や大きなプレゼンテーションの場では、「場の改まり
度:プラス1」のレベルの敬語を使う。
したがって、「いたします」「申します」といった改まった敬語づかいが
ふさわしい。
次に、職場やミーティングの場なら、「場の改まり度:ゼロ(0)」で、
「です」「ます」を用いて丁寧に話す。
このように、その時々で、相手レベルと場レベルとの組み合わせが変わり、
使う言葉も変化する。
たとえば、ビジネス上の取引先に対して大規模なプレゼンテーションを
するなら、「相手を立てる度:プラス1」と「場の改まり度:プラス1」を
組み合わせて、「ただ今よりご説明いたします」と上級の敬語を使う。
一方で、親しくなった取引先の人との居酒屋での飲み会なら、「相手を
立てる度:プラス1」×「場の改まり度:マイナス1」となり、「山田さん、
さっきおっしゃっていましたよね」と、少しくだけた敬語づかいをしても
問題はないだろう。
2. 原則その「相手を立てる敬語」と「改める敬語」を使い分ける
相手を立てるのが尊敬語で、自分が謙るのが謙譲語である。
しかし、現実にはそのようには分けて話せないこともある。
それは謙譲語のむずかしさにある。
謙譲語には、「相手を立てる敬語」(謙譲語I)と「改まる敬語」(謙譲語II)の
2種類がある。たとえば、「伺う」「お(ご)——–いただく」などは、
間接的な相手や話題の人物を「立てる敬語」である。
一方、「いたす」「申す」「参る」などは改まった場で使う「改まる
敬語」である。また、従来の尊敬語は、「相手を立てる敬語」である。
「立てる」のは敬語上であって、実際の敬意とは別物である。
また、従来の尊敬語は、「相手を立てる敬語」である。「立てる」のは
敬語上であって、実際の敬意とは別物である。
原則その1:で示した「相手を立てる度:プラス1」の人に使うのが「相手を
立てる敬語」であり、「場の改まり度:プラス1」の場面で使うのが「改まる
敬語」と理解するとよい。
「改まる敬語」は、ビジネス上、丁寧に話す必要がある場面で、立てる
敬語を使う必要のない人物について話す場合に使われる。
たとえば、部長と話すときに、「(部下の)小林君に説明いたしました」と
言えば、目上の人と話すのにふさわしい適切な表現となる。
しかし、「(部下の)小林君にご説明いたしました」と言うと、「ご説明
する」で、部下の小林君を立ててしまうので間違いとなる。
3. 原則その会話中に話し相手への敬語を忘れないようにする
一人の人に敬語を使っていると、もう一人の人にはうっかり使うのを
忘れてしまうことがある。なかでも、会話に出てくる人物にだけ敬語を
使ってしまうといった失敗を犯すことはよくあることだ。
たとえば、次の事例のように、社内で部長に対して、「その件は課長に
ご報告しました」と言ったとする。
「ご報告」と言うことで課長には敬語を使っているが、直接の相手で
ある部長に対しては敬語がない。語尾に「〜いたしました」と改まる
敬語を使い、部長にも配慮することが大切である。
<例:社内で部長と会話するときの正しい敬語の使い方>
○→「その件は課長にご報告いたしました」
×→「その件は課長にご報告しました」
×→「その件は課長にご報告申し上げました」
この場合の「ご報告」は、課長に対しての敬語である。
部長にも配慮を示すため、「しました」を「いたしました」と改まる
敬語に言い換える必要がある。「課長にご報告申し上げました」は、
課長を一層立てており、結果的に部長への配慮が足りない表現と受け
止められる可能性がある。
この続きは、次回に。