Coffee Blake-令和3年7月13日(火) 読売新聞「あすへの考」②
「あすへの考」【日本復活の処方箋】
経済評論家 加谷 珪一氏
記事内容-①
バブルが崩壊したのは1990年代初めだ。日本経済は今なお、低成長に苦しむ。
コロナ禍による停滞も追い討ちをかけ、「日本はもはや後進国」との指摘も
出始めた。「失われた30年」と言う、長くて暗いトンネルに出口はないのか。
経済評論家の加谷珪一さんに、復活に向けた処方箋を尋ねると、「日本は
小国になるが、それは豊かになるためのチャンスでもある」との明快な
答えが返ってきた。(編集委員 吉田清久)
□ 「バブル崩壊」とは、
バブル崩壊(バブルほうかい)は、日本の不景気の通称で、バブル景気後の
景気後退期または景気後退期の後半から、景気回復期(景気拡張期)に
転じるまでの期間を指す。 内閣府景気基準日付でのバブル崩壊期間(第1次
平成不況や複合不況とも呼ばれる)は、1991年(平成3年)3月から
1993年(平成5年)10月までの景気後退期を指す。
○ 私見
「1991年(平成3年)3月」と言えば、私が満35歳で三男(平成3年9月生まれ)が
生まれた年となります。
その当時の私は、「転職」をしております。職種は、管理部門の責任者
候補として、経理・財務、人事、総務の仕事でした。
全国に「インテリアコーディネーターの養成校運営」と「一級建築士事務所」が
主な事業内容です。
その当時の景気については、「不景気」と言う認識は、肌では感じて
いませんでした。
「不景気」と肌で感じるようになったのは、6年後の1997年頃からと
思います。
仕事でも、建築関連が不景気で「生徒数の減少」や「建築事務所の受注も
減少」で、会社の存続を提案して、「一級事務所閉鎖」を提案致しました。
建築事務所スタッフ約80名(ほぼ全員)を対象に面談を実施し、「解雇予告」と
「建築事務所閉鎖」を実行、我々、役職者の年俸も30%減を実行致しました。
また、当時は、「インターネット・バブル」もスタートしておりました。
私も、「リストラ」の業務も終わり、年齢も満44歳(1999年)になっており、
この波(ITバブル)に乗ろうと、退職して「有限会社ライフワールド21」を
設立、飲食店「酒菜 和氣あいあい」をオープン。また、いろいろベン
チャー企業オーナーとタイアップ交渉をしたことを思い出します。
何せ、「起業・創業」する若い経営者が非常に多かったと思います。
そのうちに、「インターネット・バブル」も崩壊致します。
それからの私自身のことについては、あまり良い思い出はありません。
□ 「インターネット・バブル」とは、
インターネット・バブル(英: Internet bubble)とは、1990年代前期から
2000年代初期にかけて、アメリカ合衆国の市場を中心に起こった、
インターネット関連企業の実需投資や株式投資が、実態を伴わない異常な
高値になったことである[1]。
ハイテクバブル[2]、ITバブルとも呼ばれるが、英語では「dot-com
bubble(ドットコム・バブル)」と言う[3]。
「ドットコム会社」と呼ばれる多くのIT関連ベンチャーが設立され、
1999年から2000年までの足掛け2年間に亘って株価が異常に上昇したが、
日本では、1999年2月から2000年11月までの景気拡張期を、景気の名称
(通称)で、「ITバブル」の他に、「IT景気」や「ITブーム」などと
呼ばれる。また、2000年12月から2002年1月までの、「ITバブル崩壊」に
よる景気後退期を景気の名称で他にも、「IT不況」や、「第3次平成不況」、
「デフレ不況」などと呼ばれる。
現在は、「コロナ禍」です。
これまで「ピンチと捉えるか、チャンスと捉えるか」、「デメリットだけで、
メリットは無いのか」、「これから(世の中)どうなるのか」等々、「代表の
ブログ」等で私見として、述べてきました。
私のご提案ですが、「歴史は繰り返す」という事、そして、いろいろな
著名人、経営者の方々が述べている「コロナ収束後、コロナ前には戻ら
ないだろう」と言うことは、非常に大事であると思います。
□「コロナ禍」とは、
新型コロナウイルス感染症の流行によって引き起こされる、さまざまな
災い。感染症自体だけでなく、それを抑止するための経済活動の自粛や
□ 「歴史は繰り返す」
歴史を長い目で見てみると、同じような事件、出来事が繰り返し行われて
いるものであるということ。
この続きは、次回に。