田中角栄「上司の心得」㉚
・理想の「交渉カード」は3枚
商談などの交渉事に勝利するためには、「交渉カード」を何枚持って
いるかが問われる。初めから「これで行くので」と強気一本槍、1枚の
カードで臨んだ場合、話の展開しだいで思わぬ暗礁に乗り上げてしまう
ことが、多々あるからにほかならない。
カードとは、もとより「策」を指す。
まず、これで行くのがベストであるとする「最善の策」、それがかなわぬ
となった場合の「次善の策」、そしてここでどうしても決めるのだとする
「三善の策」まで持つ必要がある。
田中角栄の交渉術には、こうした三つの策、すなわち〝3枚のカード〟が
常に懐に入っていたのが特徴的であった。
単純な不退転の決意、迫力のみに頼っていたのではなかった田中のこう
したケースでの交渉術の好例は、昭和40(1965)年の田中が大蔵大臣時代に
浮上した「山一證券」の倒産危機、それに伴っての救済措置の水際立った
過程に見られた。マジシャン並みの「3枚のカード」駆使と言うことで
あった。
この頃の株式市場は、機関投資家の株式保有率がいまほどでなく、個人
投資家が60%を超えているといった状態だった。
ということは、「山一」が倒産となれば国民生活、景気に与える影響は
計り知れないことが予測された。国としてリスクを負いながらも山一を
救済するか、それとも目をつぶって見放すのか。その行方を一手に握って
いたのが、時の大蔵大臣の田中ということであった。
田中のなかにあった最終的な落とし所、言うならば「最善の策」は、
日本銀行による「山一」への特別融資、すなわち「日銀特融」という
ことであった。これが1枚目のカードである。
しかし、田中は事前に入った情報から、まず日銀が「『山一』のメイン
バンクが救済するのが筋」とし、自らの企業への支援には強い抵抗を
示していることを承知していた。加えて、時の日銀総裁の宇佐美洵は、
何かと田中のライバルと見なされていた福田赳夫に近かったことで知ら
れている。「最善の策」での決着は至難と見られていたが、田中一流の
「芸」を、次々と繰り出して見せたのであった。
大蔵省の省議の結果として、「まず、民間での努力が不可欠。
『山一』のメインバンクである富士、三菱、日本興業(いずれも当時の
名称)の主力銀行3行で融資、救済を行うことを要請する」との方針を
明らかにした。しかし、これを受けて主力3行は協議したものの、案の定、
融資はノーの姿勢であった。
田中の交渉術の凄いところは、ここからである。
「最善の策」に頼り切るのではなく、ノーとなることも折り込み済みで、
3行の協議決済にあえて一芝居を打って見せる「次善の策」を用意して
いたのだった。この2枚目のカードで、「日銀特融」への道を切り拓いて
いったのである。
● 暗礁
1. 水面下に隠れていて見えない岩や珊瑚礁 (さんごしょう) 。隠れ岩。
2. 急に遭遇した困難。
● 日銀特融
日本銀行は、一時的な資金不足に陥った金融機関に対し、他に資金の供給を
行う主体がいない場合に、最後の貸し手として一時的な資金の貸付(流動性の
供給)を行うことがあります。
日本銀行による最後の貸し手としての資金の供与は、通常は手形や国債等を
担保として行われます(日本銀行法第33条)が、政府(内閣総理大臣および
財務大臣)からの要請を受けて、政策委員会が金融システムの安定のため
特に必要があると判断する場合には、「特別の条件による資金の貸付け
その他の信用秩序の維持のために必要と認められる業務」を行うことが
できます(日本銀行法第38条)。いわゆる特融(「日銀特融」と呼ばれる
こともあります)とは、こうした特別の条件による資金の貸付けのことを
指します。
● 至難
実現が極めて困難であること。 また、そのような行い。
この続きは、次回に。