お問い合せ

田中角栄「上司の心得」㊼

●「情実は捨てたい」部下への能力評価

 

多くの政治家の中で、絶対の権力者、上司としても君臨した田中角栄

だったが、部下に対する好き嫌いとは別に、その能力には正当な評価を

与えていた点が白眉であった。根底には、リーダーとして平等に人を観、

育てなければならないとの思いが強かったことにほかならなかった。

ために、そうした自らの人物評価に反するような言動をする者には、

しばしばカミナリが落ちるのだった。

例えば、田中自身は時に「アイツは遠目の富士山。近くに寄ればガレキの

山」などと、冗談半分の中曽根康弘に対する〝評価〟もしたが、田中派の

中堅・若手議員らを前に、こんな激怒をしたことがあった。

昭和57(1982)年11月、それまでの鈴木善幸首相が退陣、田中が派として

後継に中曽根を推すことを決めたときであった。

時に、中曽根は「風見鶏」の異名のもとに、田中派と手を組んだり離れ

たりの政治行動を取っていたことから、田中派の面々にはあまり評判が

よくなかった。「あの中曽根というヤツは」「カッコばかりつけている」

などと、呼び捨てにし、距離を置く姿勢を取る中堅・若手議員も少なく

なかったのだった。要するに、田中派の多くは、田中が中曽根を担ぐと

決めたことに、少なからず不満だったということである。

しかし、結局、田中派幹部だった金丸信(のちの総裁)の次のような田中派

会合の挨拶で、最終的に鈴木の後継に田中派は中曽根を推すということが

決まったのだった。

「諸君ッ。いまやわれわれは〝ぼろミコシ〟ではあるが、中曽根を担ぐ

ことになった。諸君も知っていると思うが、私は日本一の中曽根嫌いだ。

その私が言うんだ。このシャバは、君らの思うようなシャバではない。

親分が右と言えば右、左と言えば左だ。親分が右というのがイヤなら、

この派閥を出て行くほかはないと言うことである!」

一方で、金丸は当の中曽根自身にも、ドスを利かせてこうクギを刺すのを

忘れなかった。いかにも、度胸のよさが〝売り〟の金丸らしい物言い

だった。

「いざというときがあれば、オレはあんたと刺し違える覚悟だということを

知っておいてくれ」

田中派の意向を無視したような独走、政権運営をすれば、いつでも親分の

田中に直訴、政権を潰すと念を押したということだった。

しかし、こうした中でも、田中自身は中曽根の政治家としての資質、能力も

見抜いており、中曽根政権やむなしを是認した形の中堅・若手議員の前で、

こう語気強く言ったものだった。

「おまえたちが『中曽根』と呼び捨てにしたり、『あの風見鶏』だの

言ったりしているうちは、とてもおまえたちは総理なんかなれんッ。

自惚れてはいかんぞ。数々の修羅場を踏んできた先輩の政治家に、敬意を

持てんでどうする。『中曽根先生』と言うべきだろう。組織の中での作法と

いうものだ」

ここでは田中は田中なりに、長い政治家生活の中で中曽根に対する正当な

評価がキチンとできており、ろくに本質も分からずに偉そうなことを言えば

そのうち誰も相手にしなくなると教えたものであった。

 

● 権力

 

権力(けんりょく、英語: Power、ドイツ語:Macht)とは、一般にある

主体が、自分の意思を、相手にとって望まない(不利益な)行動を強制

させることができる能力である[1]

 

● 君臨

 

1. 主君として国家を統治すること。

2. ある分野で、強大な力を持って他を支配すること。

  「業界に君臨する大物」

 

● 白眉(はくび)

 

《蜀 (しょく) の馬氏の五人兄弟はみな秀才であったが、まゆに白毛の

ある馬良が最もすぐれていたという、「蜀志」馬良伝の故事から》

多数あるもののうち、最もすぐれているものや人のたとえ。

「印象派絵画の白眉」

 

● 風見鶏

 

定見をもたず、周囲の状況を眺めて、都合のよい側にばかりつく人のこと。

 

● 是認

 

人の行為や思想などを、よいと認めること。「相手の態度を是認する」⇔否認

 

● 修羅場

 

 血みどろの激しい戦いや争いの行われる場所。しゅらじょう。

「修羅場をくぐりぬける」

 

 

この続きは、次回に。

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