ピーター・F・ドラッカー「経営者の条件」⑱
第一の現実は、時間がすべて他人に取られてしまうことである。
体の動きに対する制約を考えれば、組織の囚人と定義せざるをえない。
誰でも彼の時間を奪える。現実に誰もが奪う。このことに抵抗する術は
ほとんど何もないかのようである。
彼は、医者のように、ドアから顔を出して「三○分間は誰も入れないで」
とはいえない。いったとしても、その瞬間に電話が鳴り、最上の客、
市役所の幹部、あるいは直接の上司と話さなければならなくなる。
そのうちに貴重な三○分は過ぎてしまう。
第二に、日常業務に取り囲まれていることがある。
自ら現実の状況を変えるための行動をとらないかぎり、彼は日常業務に
追われ続ける。
アメリカでは、社長や役員が企業全体に責任をもつ者として、全体の
方向づけに時間を使わなければならないにもかかわらず、現場のマーケ
ティング部門や工場の運営にかかづらっていることについてよく批判を
耳にする。彼らは、特定の機能別部門を経て昇進してきているために、
マネジメントの全体に責任を負う地位にいたっても、職歴を通して身に
つけたものから脱却しえないのだと説明されている。
しかし昇進の経路がアメリカとまったく違う国でも同様の批判が聞かれる。
ゲルマン系の諸国では、トップにいたるには本社機能のスタッフとして
スタートし、ゼネラリストとして進むことになっている。にもかかわらず
ドイツ、スウェーデン、オランダにおいても、アメリカと同じように
トップは日常業務に関わりすぎると批判されている。しかもこの傾向は、
トップに限らずあらゆるエグゼクティブに見ることができる。
したがって日常業務にとらわれる傾向には、昇進進路あるいは人間の
習性以外の理由がなければならない。
根本的な問題は、エグゼクティブを取り巻く現実にある。断固たる行動を
もって変えないかぎり、日常の仕事の流れが彼の関心と行動を決定して
しまう。
医者の場合には仕事の流れに身を任せることが正しい。
入って来た患者に「どうしました」と聞く医者は、仕事に関係のある答えを
期待できる。「眠れません。三週間も寝つきが悪いんです」という訴えが
優先して取り上げるべき問題を教える。診察ののち、その不眠症が深刻な
病気の症状だと判断した場合でも、何はともあれ何日かぐっすり眠れる
よう処置してやることができる。
しかしエグゼクティブの場合は、日常の仕事は、本当の問題点どころか
何も教えてくれない。医者にとって患者の訴えが重要なのは、それが意味
あることを教えるからである。これに対し、組織で働く者ははるかに複雑な
世界に対峙している。何が本質的に重要な意味をもち、何が派生的な問題に
すぎないかは、個々の事象からは知る由もない。症状についての患者の
話が医者の手かがりになるのに対し、個々の事象は組織の者にとっては
問題の徴候ですらないかもしれない。
したがって、日常の仕事の流れに任せたまま、何に取り組み、何を取り
上げ、何を行うかを決定していたのでは、それら日常の仕事に自らを埋没
させることになる。いかに有能なエクゼクティブであろうと、それでは
いたずらに自らの知識と能力を浪費し、達成できたはずの成果を捨てる
ことになる。
彼らに必要なのは、本当に重要なこと、つまり貢献と成果に向けて働く
ことを可能にしてくれるものを知るための基準である。
だがそのような基準は日常の仕事の中からは見出せない。
この続きは、次回に。