ピーター・F・ドラッカー「経営者の条件」㊱
第二に、人員過剰からくる時間の浪費がある。
小学一年の算数の教科書は、「溝を掘るのに二人で二日かかりました。
四人だったら幾日かかりますか」と聞いている。
一年生にとっての正解は一日である。
現実の世界ではおそらく正解は四日である。
人の少なすぎるということはありうる。人が少なければ仕事のできあがりは
よくないかもしれない。だがそれは一般的な状況ではない。
むしろよく見られるのは、成果をあげるには人が多すぎ、したがって仕事を
するよりも互いに作用し合うことにますます多くの時間が使われていると
いう状況である。
人員過剰についても信頼できる兆候がある。もし組織の上のほうの人たちが
時間をある程度以上、おそらくは一割以上を人間関係、反日、摩擦、担当、
協力に関わる問題にとられているならば、人が多すぎることはほぼ確実で
ある。互いに仕事を邪魔している。スマートな組織では、衝突すること
なく動く余地がある。始終説明しなくとも自分の仕事ができる。
人員過剰の原因は、「技術スタッフとして熱力学の専門家が必要だ」と
いうたぐいの要求である。
実はそのような専門家はあまり使われはしない。まったく使われないかも
しれない。しかしそれでも、「必要な時のために置いておかなければなら
ない」という。さらには「ふだんから問題をよく知っている必要がある」
とされ、「最初からグループの一員である必要がある」とされる。
常時抱えておく専門家は、毎日必要になる知識や技能についての専門家
だけにしておくべきである。時おり、あるいは問題に応じて必要になる
専門家は、組織の外に置いておくべきである。高度な技能をもちながら
仕事のない専門家を抱えることは組織全体の士気に関わる。
そのような専門家は、必要に応じて料金を払って相談に行くほうが安上がり
である。常時抱えておくことは有害なだけである。
第三に、組織構造の欠陥からくる時間の浪費である。
その兆候が会議の過剰である。
会議は元来、組織の欠陥を補完するためのものである。
人は、仕事をするか、会議に出るかである。
同時に両方を行うことはできない。変化の時代にあっては至難なことだが、
理想的に設計された組織とは会議のない組織である。誰もが仕事をする
だけに知るべきことを知っている。
仕事をするために必要な資源をみな手にしている。
会議を開くのは、仕事をする人たちが互いに協力しなければならないから
である。個々の状況において必要とされる知識や経験が、一人の頭では
間に合わず、何人かの頭を合わせなければならないからである。
いつの世にも会議は多すぎるほどある。組織は、常に人と人がともに働く
ことを要求する。とはいえ成果をあげるべき者たちが自分たちの時間の
一定割合以上を会議に使っているならば、それは組織の欠陥の明らかな
証拠である。しかも会議は、そのフォローアップのために、時間のかかる
公式、非公式の小会議を生む。会議は、目的をもって方向づけしなければ
ならない。
方向づけのない会議は迷惑なだけにとどまらない。危険である。
しかし何よりもまず、会議は原則ではなく例外にしなければならない。
みなが会議をしている組織は何事もなしえない組織である。
時間の四分の一以上が会議に費やされているならば、組織構造に欠陥が
あると見てよい。会議が時間の多くを要求するようになってはならない。
会議の過多は、仕事の組み立て方や組織の単位に欠陥があることを示す。
この続きは、次回に。