ピーター・F・ドラッカー「経営者の条件」㊿+45
第三に、真に例外的で特殊な問題がある。
一九六五年一一月にセントローレンス川からワシントンにいたる北米大陸の
北東部全体で起こった停電は、当初の説明によれば例外的なものだった。
一九六○年代初期に多くの奇形児をもたらしたサリドマイド禍も当初の
説明によれば例外的なものだった。一○○○万分の一、あるいは一億分の
一の確率で起こるものと説明された。
あのような複合障害の再現は、例えば私の座っている椅子がある日突然
原子に分解するのと同じくらい考えられないことであると説明された。
実際には、真に例外的な問題というものはきわめて少ない。
したがって、それらしきものにであっても、「真に例外的なことか、
それともまだわからない何か新しいことの最初の表れか」を問う必要が
ある。
第四に、そのような何か新しい種類の基本的、一般的な問題の最初の
表れとしての問題がある。
今日では、前述の北米大陸北東部の停電やサリドマイド禍が、基本的な
解決策が見出されないかぎり何度でも起こりうる種類の最初の表れに
すぎなかったことが明らかになっている。
真に例外的な問題を除き、あらゆるケースが基本の理解に基づく解決策を
必要とする。原則、方針、基本による解決を必要とする。
一度正しい基本を得るならば、同じ状況から発する問題はすべて実務的に
処理できる。問題の具体的な状況に応じて原則を適用できる。
もちろん真に例外的な問題は個別に処理しなければならない。
例外的な問題のために原則をつくることはできない。
したがって意思決定の成果をあげるには、まず時間をかけ、問題が四種類の
いずれであるかを知らなければならない。問題の種類を間違って理解する
ならば決定も間違う。
圧倒的に多く見られる間違いは一般的な問題を例外的な問題の連続として
みることである。一般的な問題としての理解を欠く解決についての基本を
欠くために、その場しのぎで処理する。結果は常に失敗と不毛である。
内政外交を問わずケネディ政権の政策がほとんど失敗したのはこのためで
ある。閣僚の優秀さにもかかわらず、ケネディ政権が成功したのはキューバの
ミサイル危機への対処に於いてだけだった。
その他についてはほとんど何もできなかった。
その主たる原因は、閣僚たちがプラグマティズム、現実主義と呼んでいた
ものにあった。すなわち原則や方針を策定せず、あらゆる問題をそのつど
解決することにこだわったためだった。
しかも当のケネディ政権の閣僚を含め、誰も目にも、当時政策の基礎として
いた根本的な前提、すなわち第二次世界大戦後の政策の基本的な前提の
すべてが、国際的にも国内的にもますます非現実的となっていることは
明らかだった。
この続きは、次回に。