P・F・ドラッカー「創造する経営者」㊿-10
□ マーケティングの八つの現実
実は今日のことは目新しいことではない。マーケティング的アプローチ
なるものが宣伝されて久しい。トータル・マーケティング・アプローチ
なる麗々しい言葉さえある。
しかしこの言葉にふさわしいものばかりとは限らない。マーケティングは
流行である。だが、販売部長をマーケティング担当副社長と呼んでも、
その結果は給料と経費を上げただけということになる。
今日マーケティングと称されているものの多くは、せいぜい、販売予測、
出入庫、広告を統合した体系的販売活動にすぎない。
もちろんそれはそれでよいことである。
しかしそれらのマーケティングは、依然としてわが社の製品、わが社の
顧客、わが社の技術からスタートしている。内部からスタートしている。
すでにマーケティング分析から明らかになっていることがある。
そのいくつかは、次のとおりである。
(1) 顧客と市場を知るのは、顧客のみ
顧客や市場について、企業が知っていると考えていることは、正しいこと
よりも間違っていることのほうが多い。顧客と市場を知っているのはただ
一人、顧客本人である。したがって顧客に聞き、顧客を見、顧客の行動を
理解して初めて、顧客とは誰であり、彼らが何を行い、いかに買い、いかに
使い、何を期待し、何に価値を見出しているかを知ることができる。
(2) 顧客は満足を買う
企業が売っていると考えているものを顧客が買っていることは稀である。
もちろんその第一の原因は、顧客は製品を買っているのではないという
ことにある顧客は、満足を買っている。しかし誰も、顧客満足そのものを
生産したり供給したりはできない。満足を得るための手段をつくって引き
渡せるにすぎない。
これは一つの法則である。そしてこの法則は、マディソン街に数年事に
現れる広告の天才たちによって再発見されている。彼らは、スポンサーが
行おうとする製品やその効用の説明を一蹴する。そして消費者に対し、
「何が欲しいのですか。これによってそれが満たされます」という。
この方法は、「すでにおもちの方にお尋ねください」というコピー以来、
常に成功してきた。
しかし、このメーカーにとって、自分がつくり売っているものが、顧客
満足そのものではなく顧客満足の手段にすぎないということを受け入れる
ことはきわめて難しい。そのためせっかくの教訓もすぐに忘れられ、次の
広告の天才が現れるまで忘れられたままとなる。
この続きは、次回に。