P・F・ドラッカー「創造する経営者」㊿-40
非西洋の国として最初に近代経済へと転換した一八七○年から一九○○年に
かけての日本は技術上のイノベーションを自ら行うことはできなかった。
緊急の課題は社会上のイノベーションだった。すなわち日本は、独自の
文化と伝統と社会構造をもつ非西洋の国として、いち早く西欧の技術と
経済を受け入れるための制度をつくらなければならなかった。
当時の経済発展の担い手となった同族企業群たる財閥は、常に機会の
最大化を目指した。財閥は、経済発展段階において、いかなる産業が
自分たちにとって最大の機会をもたらすかを考えた。
その答えが海運、生命保険、繊維だった。
そしてそこから、社会的なイノベーションが必要な領域を明らかにした。
それが例えば日本の伝統的な人的、社会的関係を近代工業生産に必要な
規律に融合させた日本独自の企業組織だった。
日本が、非西洋のいかなる国も行うことのできなかったこと、すなわち
社会的変化と政治的変動を最小にとどめつつ急速な経済発展を実現でき
たのは、機会の最大化に焦点を合わせたためだった。
小売業の雄であるシアーズ・ローバック、イギリスのマークス・アンド・
スペンサーも、最大の経済的成果がもたらされる機会は何かを自問した。
両社の経験を見るならば、機会の最大化を図るアプローチは数年ごとに
答えが変わるという点で動的なことがわかる。
前述の理想企業のアプローチがひとたび設計されて成功すれば、かなり
長期にわたって通用するという特徴を持っているのとはきわめて対照的で
ある。
● 融合
とけあうこと。とけあって一つのものになること。
「物質どうしを―させる」「東西文化の―」
この続きは、次回に。