P・F・ドラッカー「創造する経営者」㊿-62
○ 脅威は本当に脅威なのか
企業や産業にとって脅威であるかに見える新しい事態にこそ、隠された
機会が存在する。
一九五○年にいたってなお、アメリカの鉄道会社は、乗用車、トラック、
航空機による輸送の増大を認めようとしなかった。
彼らは鉄道がアメリカの輸送システムの根幹としての地位を失うことは
考えられないとしていた。彼らは、それらの新しい輸送手段は、鉄道だけ
でなく、国家とその安全や繁栄にとって脅威であるとさえ主張していた。
鉄道がこの脅威を、機会としてとらえることができると認識したのは、
一九六○年代に入ってかなり経ったのちのことだった。
代替手段が発達したため、鉄道は、自らが最も力を発揮し最も利益を
あげられる事業、すなわち、鉄道の長距離輸送に力を入れることができる
ようになった。乗用車やトラックやバスの発達により、鉄道は利益の
あがらない支線や小さなコミュニティへのサービスを放棄できるように
なった。また、昔からの鉄道独占に対する懸念が消え、競合路線との合併や、
重複サービスの廃止が容易になった。
こうして鉄道会社は二五年前に捨てた事業、すなわち自動車の新車輸送
にも取り組めるようになった。トラックを異常な存在として敵視していた
頃には、鉄道は無蓋の二層トレーラーで輸送するトラックから学ぶことが
できずに有蓋車で運んでいた。そのため、二台しか積めない有蓋貨車に
よる輸送は、六台を輸送の三倍のコストがかかっていた。
しかし、トラックの存在を認めたとき、鉄道は八台から一○台の新車を
載せる二層の無蓋車を多数連絡させることに気づいた。
こうして一年後には、鉄道は長距離自動車輸送の大半を取り戻した。
これと同じことが、穀物、石炭、鉄鉱石などの長距離大量輸送についても
行われた。そしてそれらの輸送が鉄道にとって再び利益あるものとなった。
こうして、不可避なことを受け入れて、それを利用するという鉄道の姿勢の
変化の結果、あまりに長い時間を要しはしたものの、今日通常の主要幹線
さえも、再び繁栄し健全な事業としうるかもしれなくなっている。
このほかにもいくつかの例がある。
かつてアメリカでは生命保険会社が主な貯蓄機関だった。
しかし第二次世界大戦後、豊かになった大衆は保険契約数こそ減らさな
かったが、貯蓄のうち生保に回す割合を減らし始めた。
この変化に重大な脅威を感じた生命保険会社の多くは、株式投資などの
投資手段の危険性を警告する広報活動を展開した。
だが、象徴的なことには、あまり有名ではないある保険会社が、そこに
機会を見出した。この会社は自ら投資信託会社を買収し、その投資信託を
生命保険と一緒に売り出した。すなわち、顧客にバランスのとれた投資
手段、セット物のマネープランを提供した。
そして直ちに生命保険業界全体の成長を遥かに上回る伸びを実施した。
この続きは、次回に。