P・F・ドラッカー「創造する経営者」㊿-68
同じように、かなり大胆でなければ、アメリカ社会において、いつ黒人が
完全に平等な地位を得るかを予測することはできない。
しかし一九六二年と六三年に起こったこと(公民権運動)の結果として、
黒人のみならず白人の側にも、人種問題についての新しい意識が生まれ
ている。
少なくとも若者に関するかぎり、服従する黒人が過去のものとなった
ことはすでに起こった事実である。覆すことのできない事実である。
その影響は必ず現れる。単にいつかが問題であるにすぎない。
また、産業やマーケティングの構造にもまだ影響が現れていないすでに
発生した未来がある。
自由世界の経済が再び経済ナショナリズムと保護主義に堕落することは
ありうる。五○年代と六○年代に見られたグローバル化の波は、その規模と
影響の大きさのゆえに、各国内にあまりに大きな圧迫と緊張を生み出した。
そのため、例えば過度に保護されている農民からの巻き返しの政治圧力
など、深刻な反動が生ずる危険が生じている。
しかし、グローバル経済なるものの存在と、その規模に対する意識がなく
なることはない。したがってもはや、あれこれの産業や地域は聖域である
べきであるとか、国内産業を世界経済から隔離すべきであるなどという、
四○年代の安易な幻想に戻ることは、大破局でも起こらないかぎりあり
えない。
まだ、この一五年来グローバル化してきた企業が、今後自らのビジョンや
活動を一国の経済や市場に閉じ込めてしまうこともありえない。
もちろんこれらは大きな変化の例である。しかしはるかに規模の小さな
変化であっても、事業にとっては未来における機会を生み出す。
そのような機会を生み出す社会的文化的変化の一つの例として、第二次
世界大戦中にアメリカの若者の間で起こった電話の使い方の変化がある。
長距離電話はアメリカ人にとって日常のものではなかった。
緊急用の連絡のためのものだった。しかし第二次世界大戦中、アメリカの
軍人は、長距離電話を使って家族と話すことが奨励された。
その結果、今日では長距離電話が日常のものとなった。
この続きは、次回に。