P・F・ドラッカー「創造する経営者」㊿-71
(3) ほかの産業、ほかの国、ほかの市場
第三の領域は、ほかの産業、ほかの国、ほかの市場である。
これらのものに目を配り、「われわれの産業、国、市場を変える可能性の
あることは起こっていないか」を考えなければならない。
一九五○年代の初頭、日本の電機メーカーは日本の所得水準はまだテレビが
普及するほどではないし、特に農家には余裕はないと考えた。
そこで彼らは当初テレビの生産を迎えた。
ところが、当時まだ中堅企業だったあるメーカーが、そのような考えが
正しいかどうかをアメリカ、イギリス、ドイツなどほかの国の状況を
調べて検証した。その結果、それらの国でもテレビは低所得層が簡単に
手に入れられるものではなかったが、値段が問題にならないほど大きな
満足を与えていることが明らかになった。
いずれの国でも貧しい人たちはテレビの顧客になっていた、所得から
すれば高すぎるはずのテレビを買っていた。
そこでこのメーカーは高価な大型テレビを売り出した。
しかも農家に対して集中的に販売促進を行った。
その一○年後、日本では、都市部低所得層の三分の二、農家の半数以上が
テレビを所有するようになった。高価な大型テレビがよく売れた。
そのメーカーは今日では大メーカーに成長している。
(4) 産業構造
第四の領域は、産業構造である。
「産業構造において大きな変化は起こっていないか」を検討しなければ
ならない。例えば今日、あらゆる産業界で起こっている変化の一つが
素材革命である。かつては完全に別のものだった素材の流れの境界が、
消滅するか曖昧になっている。
わずか一世代前には、あらゆる素材の流れがその始点から終点にいたる
まで別々になっていた。木が原料となるのは紙だった。
逆に紙は木だけからつくられる製品は、特定の最終用途をもっていた。
言い換えると、たいていの場合、素材によって最終用途は決まっていた。
物質が用途を規定し用途が物質を規定していた。
しかし今日、素材の流れは始点も終点も多様化している。
例えば、木は紙だけではなく多様な最終製品となっている。
逆に、紙と同じ機能をもつものは、木だけでなく多様な物質からつくる
ことができる。
最終用途においても、新しい素材がこれまでの素材の補完物というよりも、
むしろ代替物になっている。例えば紙は、衣料の原材料になろうとして
いる。異なる物質が同一の目的のために使われる領域が広がっている。
生産工程さえもはや独自性を失った。製紙業はプラスチックの生産や加工の
技術を取り入れている。繊維産業も製紙のプロセスを参考にしている。
こうして、あらゆる素材産業が事業の変化を予感している。
すでに多くの企業が、この変化の対策を講じている。
例えば、アメリカのある大手缶メーカーは、ガラス、紙、プラスチックの
容器メーカーを買収している。
しかし、基本的な変化が、自らの事業どころか、経済にさえ関係のない
外の世界で起こっていることを認識している企業は、私の知るかぎり
ほとんどない。
すなわち、かつては物質そのものが問題であったが、今日では素材としての
物質が問題なのであって、しかもその素材なるものの定義さえ難しくなって
いる。しかしいずれにせよ、一つの素材をもって自らを定義する企業は、
すでに陳腐化したといってよい。
この続きは、次回に。