「道をひらく」松下幸之助 ⑩
・生と死
人生とは、一日一日が、いわば死への旅路であると言えよう。
生あるものがいつかは死に至るというのが自然の理法であるかぎり、
ものみなすべて、この旅路に変更はない。
ただ人間だけは、これが自然の理法であることを知って、この旅路に
対処することができる。いつ死に至るかわからないにしても、生命の
ある間に、これだけのことをやっておきたいなどと、いろいろに思いを
めぐらすのである。これは別に老人だけにかぎらない。
青春に胸ふくらます若人が、来るべき人生に備えていろいろと計画する
のも、これもまた死への準備にほかならないと言える。
生と死とは表裏一体。だから、生の準備はすなわち死の準備である。
死を恐れるのは人間の本能である。だが、死を恐れるよりも、死の準備の
ないことを恐れた方がいい。人はいつも死に直面している。
それだけに生は尊い。そしてそれだけに、与えられている生命を最大に
生かさなければならないのである。それを考えるのがすなわち死の準備
である。そしてそれが生の準備となるのである。
おたがいに、生あるものに与えられたこのきびしい宿命を直視し、
これに対処する道を厳粛に、しかも楽しみつつ考えたいものである。
● 理法
道理にかなった法則。「自然の―に従う」
● 道理
1. 物事の正しいすじみち。また、人として行うべき正しい道。
ことわり。「―をわきまえる」「―に外れた行為」
2. すじが通っていること。正論であること。また、そのさま。
「言われてみれば―な話
この日本の国に
活力にみちた青春をもたらさねばならない
勤労者も 学生も
経営者も 家庭の主婦も
あらゆる職業の あらゆる人びとが
自分の殻をぬぎすてて
みずみずしい光のなかへ躍り出よう
日本人すべての 平和と幸福と繁栄の道を
躍動する心で 今こそ真剣に考えるのだ
この続きは、次回に。