「道をひらく」松下幸之助 ㉓
・生かし合う
人間の命は尊い。尊いものは誰もが尊重しなければならぬ。
ところが、自分の生命の尊いことはわかっても、他人の生命もまた
尊いことは忘れがちである。ともすれば私心に走り私利私欲が先に
立つ。
つまり、自分にとらわれるということで、これも人情としてやむを
えないことかもしれない。
しかし、これではほんとうに、おたがい相互の繁栄は生まれないで
あろう。人間本来の姿は生かされないであろう。
やはり、ある場合には自己を没却して、まず相手を立てる。
自己を去って相手を生かす。そうした考えにも立って見なければなら
ない。
そこに相手も生き、自己も生きる力強い繁栄の姿がある。
尊い人間の姿がある。
自己を捨てることによってまず相手が生きる。その相手が生きて、自己も
またおのずから生きるようになる。これはいわば双方の生かし合いでは
なかろうか。そこから繁栄が生まれ、ゆたかな平和と幸福が生まれて
くる。
おたがいに、ひろく社会の繁栄に寄与するため、おたがいを生かし合う
謙虚なものの考え方を養いたい。
● 私利私欲
自分の利益や、自分の欲求を満たすことだけを考えて行動すること。
私的な利益と私的な欲望の意。 ▽「欲」は「慾」とも書く。
● 没却(ぼっきゃく)
なくすこと。損失。ぼっきゃく。
・責任を知る
自分に全く関係ないところで、自分に全く関係ないと思う事が起こって、
だから自分には全く責任がないと思うことでも、よくよく考えてみれば、
はたして自分に全く責任がないと自信をもっていうことができるで
あろうか。
人と人とが、かぎりないまでにつながりあっているこの世の中に、
自分とは全然関係ないといえることが、本当はあるとは思われない
のである。
キリストは、その時代の見も知らぬ人びとの責任も、すべてわが身に
負い、そのうえに、後の世につづく数知れぬ人びとの責任をも、その
気高いまでの魂で、一身に引きうけた。
おたがいに、そこまで求めるとはとてもムリ。キリストなればこそで
ある。しかしせめて、自分に責任あると思うことまでも、他人のせいに
することだけはやめにしたい。犬や猫は、自分が悪くても、自分の気に
入らなければ、平気で同類にかみつき、傷つける。
人間と動物とは、天地自然の理によって、ハッキリちがっている。
そのちがっていることの尊さを、みずからけがすことだけはやめに
したいと思うのである。
● 天地自然の理法
天地自然の理法というと難しいように聞こえますが、これは、「雨が
降るなら傘をさす」というように、「当然のことを当然にやっていく」
という経営の考え方です。なすべきことをなし、なすべからざることを
しないということを心がけるということです。2022/06/06
この続きは、次回に。